お月様 2 そして、その日の昼。ジェイドが言ったように家のドアを開ける者があった。 ジェイドの屋敷のカギは魔法になっていて、普通の者では触れることもできない。特殊な呪文を駆使するか、ジェイド自身から許しを得た者だけがそこを通ることができるのだ。 「お邪魔しますね。」 誰もいない屋敷に入るのにわざわざ声をかけるサフィルスは、きっとそういった礼儀にはうるさいのだろう。 サフィルスはまっすぐに中庭の見える広間へ向かう。カチャリという音に、今までソファの上で眠っていたプラチナは飛び起きた。 『まずい、寝過ごした!!』 プラチナは慌ててソファから飛び降りて物陰に隠れる。 運良くサフィルスはソファよりもキッチンの方に興味があったらしい。すぐにそちらに向かうと勝手知ったるといった感じで湯を沸かし始める。 「おや?お揃いのカップが…ふたつ……。」 食器の棚を開けて、サフィルスは目を瞬かせた。 「食器も2セット…。これはお客用じゃありませんね…。しかもちゃんと使っているようだし…。」 思い至った結論にサフィルスは笑って首を振った。 「そんなはずありませんよね、これから事を起こすっていうのに…。あの人に限って…。」 食器の棚から自分がいつも使っているカップを出してお茶を注ぐ。 その頃プラチナはサフィルスに見つからないように逃げる方法を練っていた。 『物陰に隠れながら移動…。は無理だな、出入り口付近には何もない。いっそ、アイツを倒して…?いや、ジェイドの下僕だからそれはマズイ…。』 考えている間に一気に駆け抜けてしまえばよかったのだが、一生懸命『隠れる』ことを考えていたプラチナには考え付かなかった。 そうこうしているうちにサフィルスが戻ってくる。 「それじゃ、失礼して…。」 テーブルについてティータイムを始めてしまったサフィルスにプラチナは困り果てていた。今サフィルスが腰掛けているそこから真向かいの位置にプラチナは隠れている。 様子を伺いながら思案を巡らせた。 『菓子をつまむ瞬間に少しだけ視線が逸れるから、その隙をついて飛び出すか…?でも、そんな短時間では…。』 ぐるぐると頭を悩ませていると、ふとサフィルスが中庭に目をやった。 「―――――――?今、何かが…。」 プラチナは今がチャンスとばかりにソファの影から飛び出した。目指すは廊下へ続く扉…。 「え?」 サフィルスの声にプラチナは動きを止めて恐る恐るそちらを振り返った。 「ウサギ、ですか……?」 「…あ………。」 しっかりと視線が交錯する。プラチナは一気に駆け出した。 「待ちなさい!!」 当然ながら追ってきたサフィルスに、プラチナは必死で走った。さすがはウサギという素早さでプラチナはあちらこちらを駆け回る。 「もしも、あの事を知られてしまったら…。」 呟いたサフィルスの表情が暗く歪んだ。 一気に階段を駆け登ったプラチナの前に人の足。 「お疲れ様でした。」 上を向くと笑顔を浮かべたサフィルスの顔。伸ばされた手に怯えてプラチナはせっかく上った階段を駆け降りた。 「どこまで逃げるつもりですか?絶対に逃がしませんよ。」 プラチナを捕まえられないことに苛立ってきたサフィルスは、言葉が通じることを前提に精神的に追いつめるという手を使い始める。 曲がり角に身を隠して呼吸を整えていたプラチナは、サフィルスの声に身を震わせながら必死に恐怖心と戦っていた。パニックを起こしてしまったらその時点で確実に捕まってしまう。それだけはあってはならないと、恐ろしい想像に首を振った。 「おや、こんなところにいましたね。」 「――――――ゃぁッ!!」 気配を消したまま顔を出したサフィルスにプラチナは小さく声を上げてまた駆け出す。 壁際に追いつめられてもサフィルスの手をすり抜けて何とか逃げ延び、もう幾度目かになるジェイドの部屋へ逃げ込む。 「………巻いた…、か?」 ひっそりと呟いて、プラチナは隠れられそうな場所を探す。 その時不運なことにマントが引き出しに引っかかり、それを奪い返そうとして引っ張ったプラチナは引き出しごとそこに落としてしまった。 ガタン 大きな音がして物が散乱し、それと同時にオルゴールが鳴り響く。それはこの世界では聴いたことのないほどに清らかな音色の曲だった。 「やっと…見つけました……。」 あれだけ走っておきながら息一つ乱していないサフィルスはオルゴールを眺め、そしてプラチナに視線を戻した。その身に纏った空気にプラチナは怯え後ずさる。壁際に追いつめられたプラチナにサフィルスの手が伸びた。 先程と同じパターンの動きに、プラチナはまたそれを躱して駆け出そうと身構えたが、それを見越したかのようにサフィルスはプラチナの真横に魔法を叩き込んだ。 「ひッ……!!」 プラチナは小さく悲鳴を上げてその場にへたりこむ。 「観念してください。これを見られた以上あなたを生かしておくことはできません…。」 身を竦ませているプラチナにサフィルスが一歩ずつ近寄る。 「や……、く、来るな…ッ!!」 ガタガタと身を震わせ、何とか逃れようと体を動かすと小さな体の周囲に魔法を放たれる。 「下手に暴れないでくださいね。当たったら痛いですよ?」 にこりと笑顔を見せるサフィルスにプラチナは成す術もない。ただ必死で涙を耐えながらサフィルスを睨み付ける。 「随分と気がお強いんですね。」 苦笑しながら言って、グイとプラチナの長い耳を掴み吊るし上げた。 「ぃ、たい……。はなせ…ッ!!」 身を丸めているプラチナにサフィルスはそっと囁く。 「大丈夫ですよ、素直に話していただければ苦しませずに送ってあげますから。」 サフィルスの昏い笑顔に、耐えていた涙が溢れる。 「―――――ゃぁああッ、ジェイド!ジェイド!!」 泣き出してしまったプラチナに苦笑したサフィルスの足元に魔法が叩き込まれた。 「――――――ッ!?」 驚きに目を見張ったサフィルスの前にジェイドが立っていた。 「プラチナ様を放せ、サフィルス!!」 怒りを露に怒鳴ったジェイドに、サフィルスは自分の捕まえているウサギを見下ろした。 「ちょっと待ってください、ジェイド。『プラチナ様』って…!!」 問わせる間もなく第二撃目が放たれる。驚きに手を放したサフィルスの足元、落とされたプラチナは縺れる足を懸命に動かしてジェイドの元に駆け寄った。 「ジェイド、ジェイド〜…!!」 「プラチナ様、もう大丈夫ですよ…。」 足に縋りついて泣きじゃくるプラチナの頭に手を置きなでてやりながら、ジェイドは同胞を睨み付ける。 「どういうつもりだ、サフィルス。」 「それはこちらの台詞ですよ、何なんですかそれは!!」 プラチナを指差し、サフィルスは声を張り上げた。 「何って言われても…。『ウサギ』だろう。」 プラチナを見て、視線は再度サフィルスへと帰る。 「そうじゃなくて!!」 「お前ら!!プラチナを放せ〜〜〜!!!!!」 大きな声と同時に部屋の扉が吹き飛んだ。 「何ですッ!?」 驚き見たそこには金色の髪と赤い瞳をした子供が立っていた。手には魔法の杖のようなものを持っている。 「………どちら様ですか?まったく無断で他人の家に侵入した挙げ句にドア破壊ですか…。」 得体の知れない子供を冷ややかな目で見下ろしてジェイドは言った。 「そんなことどうでもいいんだよ!!お前、プラチナを放せ〜〜!!!」 杖を振り上げ飛び掛かってくる少年に、ジェイドは魔法の一撃を浴びせようとする。当然ながら自身の魔法防御は完璧だ。 「ジェイド、危ないッ!!」 プラチナが鋭く叫び、ジェイドの腰に体当たりをする。 「うわっ!!?」 バランスを崩したジェイドは体勢を立て直しつつ少年との間に距離を取った。自分が先程まで立っていた所には大きな亀裂が走っている。 「ちぇっ、惜しい。」 少年の手にあった杖の先には光で形成された刃がある。 「鎌、ですか…。」 物理攻撃は魔法防御で防ぐことはできない。それを知っていたからプラチナはジェイドを突き飛ばしたのだ。 「何で邪魔するんだよ!!」 少年の攻撃の矛先がプラチナに向くことを危惧したジェイドがプラチナを抱き上げようと手を伸ばす。 「お前、まだプラチナに何かするつもりか!?」 飛び掛かろうとした少年にジェイドが攻撃魔法の印を組む。 両者が交錯しようとした瞬間、ふわりと長い銀糸が広がった。 「やめろ、二人とも!戦う必要はないんだ!!」 少年の鎌を剣で防ぎ、ジェイドの攻撃魔法は防御の方陣で散らす。 長い銀糸と青い瞳を持つ青年がそこに立っていた。 「――――プラチナ!!大丈夫!?」 少年の声にジェイドは茫然としていた。 「プラチナ…様……?」 名を呼ばれ振り向いた彼は嬉しそうに笑った。 「ジェイド、無事だったか?」 声もなく頷いた彼に安堵の笑みを浮かべる。 そして、鎌の刃の部分を収めた少年にプラチナは笑いかける。 「兄上、ジェイドは敵じゃない。」 プラチナとジェイドの間に視線をさまよわせていた少年だったが、その場にいた三人全員の視線が自分に集まっていることに気付くと、くるりと向きを変え全速力で逃げ出した。 「兄上!!」 同じく駆け出そうとしたプラチナをジェイドが引き止める。小さいままでもあれだけ足が速かったのだから、このままで駆け出されてはたまらない。 「大丈夫ですよ、あなたがここにいるってわかってるんですからまた来ますって!!」 暴れる体を捕まえて、それより、とジェイドは続けた。 「ちゃんと説明してくださいよ、プラチナ様。俺には何がなんだか……。」 「そうですね、私もあなたに聞きたいことがたくさんあるようですよ、ジェイド…。」 話の展開についてこられなかったサフィルスは、やっと我を取り戻したようで会話に混ざってくる。 「何だお前、まだいたのか。」 ジェイドの言葉に、サフィルスがついにキレた。 「あなたは!!突然私の足元に魔法を叩き込むわ、何やらわからない生き物に名前をつけて可愛がっているわ、女癖悪いわ。あなたのせいで私がどれだけ大変な目に遭っているかわかっているんですか!?」 「ちょっと待て、最後のは今の件と関係な……。」 「お黙りなさい!!」 拳で壁を殴りつけたサフィルスに、ジェイドはため息をついて止めることを諦めた。 その行動に、プラチナがビクリと体を震わせて先程までのミニサイズに戻る。 「あー……。」 残念そうな声を上げるジェイドの足元で、プラチナは彼の足に縋りついた。先程の追いかけっこのせいだろう、サフィルスの一挙手一動足に怯えている。 「大丈夫ですからね、プラチナ様…。すぐに黙らせますから。」 抱き上げられ優しい笑顔を向けられて、やっとプラチナは笑みを返すことに成功した。
〜continue〜
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