見て 3




『いる・いらない・いる・いらない……。』

今日は中庭の掃除。
ジェイドは中庭を眺めるのが好きだから、雑草を片付けて花壇も綺麗に整えればきっと喜ぶだろう。
そう考えたプラチナは、花壇を綺麗に整えてから雑草取りを始めた。その途中に見つけた白い花。花壇を整えていた際に落ちてしまったのか、その花は地に落ちても綺麗に咲き誇っていた。
それを見て昔アレクがやっていた花占いを思い出してしまった。占いなど信じても仕方がないと、常ならば笑って捨てられたそれを捨てることができなかったのは、追い詰められた心のせいだろうか。
プラチナは花を手にとって、今一番知りたいこと、ジェイドにとって自分の存在が必要かということを占い始めた。

『いる・いらない・いる・いらない……。』

花びらの枚数が減ってくると手が震えた。たかが子供の遊び程度の占いの結果に、プラチナは怯えている。

『いる…いらない、…いる………、いらない……。』

最後の花びらが地面に落ちた。
「ただの遊びだ…、くだらない……。」
地面に散らかしてしまった花びらの輪郭が歪んだ。
「?」
目を擦っても視界が戻らない。
「泣いて、いるのか……?」
頬を濡らす熱い奔流。
「片付けないと……。」
しゃがみ込もうとした体が、ふいに力を失った。
「ぁ…………。」
小さく声を発してプラチナはその場に倒れ込む。


『こんな場所で寝てしまったらきっと風邪をひく。
ジェイドが気付かなかったら、このまま死んでしまうだろうか……。
それでも、構わない。
ジェイドがいないなら、いなくなってしまうなら。
どうせ独りなのだから…。』


プラチナは意識を手放した。



******

「プラチナ様……。」
いつもの通りそっと開いた扉の向こうに、幼いウサギの姿はなかった。
室内を見回して、そこにプラチナの気配がないことにジェイドは焦りを感じる。
最近の自分の態度を考えれば、いつ彼がこの屋敷を去ってもおかしくはないし、彼自身それを考えていないわけではなかった。しかし、実際にプラチナが姿を消したことで暗い気分に苛まれる。
もう一度室内を見回したジェイドは、部屋ににんじん枕が置かれていないことに気付いた。自分が家を空けている間、必ず持ち歩いているというプラチナのお気に入り。
それがないということは、屋敷内のどこかで眠っているのかもしれない。微かな希望を抱き、プラチナを探して屋敷内を歩き始めた。
まずはジェイドの自室。帰りが遅くなると、プラチナはいつもこのベッドで丸まっていた。その姿が愛しくて、声が聞きたくなってつい起こしてしまうことも度々。目覚めたプラチナはジェイドの姿を認めると、その表情を綻ばせて「おかえり…。」と掠れた声で言って抱きついてきた。
思いを巡らせながら別の部屋へと移る。
続いては書庫。仕事の調べ物でここに篭もると、必ず一定時間してプラチナが隣にやってくる。「邪魔はしないから。」と遠慮がちに見上げてくる蒼い瞳に笑いかけてやると、喜んでお気に入りの寓話集を抱えて隣に座り、仕事が終わるまで静かで穏やかな時間をすごしていた。
「これは……。」
ふと、本棚を見たジェイドは、綺麗にまとめ片付けられた棚に目を見開く。ひとつだけでない。広い書庫の全ての棚がきちんと整頓されていたのだ。
プラチナのために用意した踏み台が、彼があまり読まない種類の本の棚の横に置かれている。小さい体でこれだけの数の本を片付けたのだとすぐに知ることができた。
「大変だったでしょうに…。」
ここ数日の間でやったのだろう。プラチナを視界に入れないようにしていたせいで気付くことができなかったと、ジェイドは胸が痛むのを感じた。
「プラチナ様……。」
どれだけ屋敷内を探してもプラチナは見つからない。ジェイドはため息をついてソファに腰を下ろした。
「どうしました、ジェイド?」
声をかけてきたサフィルスに一度視線を当ててすぐに逸らす。
「何でも……!?」
ジェイドの視界の隅ににんじん枕が転がっている。中庭の出入り口にこれが置かれているということは、プラチナは中庭にいるということになる。冬が間近に迫ったこの寒空の下で、体の弱いプラチナが長い時間風に当たるのは危険なことだった。
中庭に続く扉を勢いよく開け放ったジェイドは、柔らかな月の光に照らし出されている銀色を見つけた。
「プラチナ様!!!!」
白い花びらが散っているその中央、冷たい地面に横たわる小さな体を抱き上げ、ジェイドは愛しい存在の名を呼んだ。
「ジェイド!早くこちらへ!!」
状況を理解したらしいサフィルスが暖炉に火を入れて毛布を敷き、暖かい場所を作る。
急いでプラチナを毛布に横たえ、息をしていることを確認する。小さな命が息づいていることに安堵したジェイドだったが、状況が良くないことはすぐにわかった。
弱々しい呼吸を繰り返すプラチナの額に触れると、そこは酷い熱を持っていた。
「薬を……。」
立ち上がろうとしたジェイドの服の裾が軽く引かれる。
「……ジェ…、ド………。」
掠れた声と共に薄らと開かれる蒼い瞳。涙で揺れ煌いている瞳に、ジェイドは安心させるように笑いかけた。
「大丈夫です。薬を、取ってくるだけですから。」
手を離させようとするが、必死につかんでいるそれは簡単には離れない。
「…ぃ…から……。」
「何言ってるんです。熱を下げないと苦しいままですよ?」
言ったジェイドにプラチナは微かに首を振った。
「苦しく…ない……。ジェイドが…、いてくれるから……、俺を、見てくれるから……。」
儚い笑みを浮かべて、プラチナの瞳は閉じられた。
「プラチナ様!!?起きてくださいよ、プラチナ様!!」
必死に呼びかけてもプラチナはもう応えなかった。ただ、苦しそうな息遣いだけが室内に響く。
「ジェイド…、このままでは………。」
慌てるサフィルスの声を遠くに聞きながら、ジェイドは剣を手に取った。
「ちょっ…、ジェイド!こんな時にどこへ!?」
サフィルスを振り返り、そしてプラチナの元に跪く。
「すぐに、戻ります。必ず助けますから…。」
柔らかな唇に己のそれを重ねてわずかなぬくもりを確認すると、ジェイドは立ち上がった。
「サフィルス、俺が戻るまでの間プラチナ様を頼むぞ…。」
重い決意が込められた声に、サフィルスは頷く。それを確認してジェイドは屋敷を出て行った。
目指すのは奈落城。玉座の間……。



*****


奈落城の隠し通路を歩きながら、ジェイドは周囲を見回す。抜け道というのは反乱時の対処には優れているが、城内を熟知した賊からしてみれば格好の侵入経路となる。
入念な下調べをしてきたジェイドにとっては、仕掛けられた罠すら取るに足らないものばかりだった。途中出会った夜間の警備兵達は手っ取り早く魔法で眠らせてしまい、ただ玉座への道を急ぐ。
本来なら出会う者全てを殺すべきなのだが、それでは時間と体力を消費してしまう。プラチナのためにも、今は時間が惜しかった。また一人兵士を眠らせてジェイドは苦笑する。
「明日の朝にはお尋ね者決定だな。」
魔法を使った後にはその術師の魔力が残ってしまうため、多少魔力の強い者であればすぐにその魔法を放った者が知れてしまう。特に、この奈落城の主は魔力に長けているから、ひと目見ただけでこれらの所業がジェイドの仕業と見抜いてしまうだろう。
もともとの計画では、会う者全てを消してしまうつもりだった。サフィルスと二人で目的を成し遂げ、奈落を去るまでには多少であるが時間を要するため、目撃者など出してはならなかったのだ。
明日の朝には兵士達が屋敷に押し寄せてくる。我が身は自分で守れるが、今のジェイドにはプラチナがいる。倒れた彼を守り切るのは至難の業で、その状態で逃げ切れるとは思えない。
捕らえられ計画は失敗に終わる。それがわかっていてもジェイドは歩みを止めなかった。
長い廊下が終わり、目の前には豪華な造りの扉。玉座の間である。
中に人の気配がないことを確かめつつ、ジェイドは扉を開いた。

「あ…………。」

開かれた扉に、驚きの声を上げたのは銀色の光。
「プラチナ様!?」
目を見開いたジェイドに、彼は驚いた顔をする。
「………プラチナ?」
長い銀糸のような髪、天上の空を思わせる蒼い瞳。本人曰く『元の姿』の、青年の姿をしたプラチナがそこにいた。
「―――――誰です?あなた……。」
プラチナでないと気付いたジェイドは、迷いもなく剣の切っ先を青年に向けた。
「プラチナ…、あなたは私を見てそう呼んだ。彼を知っているの?」
剣を向けられても物怖じせずに青年はジェイドを見つめる。穏やかな蒼の瞳は、激しく感情が煌くプラチナのそれとは違い、深い海を連想させる。
「あなたこそ、その姿……。」
ジェイドの呟きに彼は笑んだ。
「私は彼と縁のある者だから…。」
その言葉にジェイドは納得した。というよりせざるを得なかった。ウサギの耳がないこと以外は、全てが同じなのだから。
「私は問いに答えた。次は、天使、あなたが答える番だ。」
ひと目見ただけで天使だと見破った彼に、ジェイドはただ驚愕するばかりだった。
「なぜ、プラチナを知っているの…?」
再度問われ、ジェイドはプラチナに出会ってからのことを話した。
「そうか、彼もここに降りて……。」
にこりと笑って彼は右手を差し出した。そこに握られていたのは薄い紫色に輝く宝石。
「こんな夜中に危険を冒してまでここに来たということは、これが目的だね?」
言葉もないジェイドに彼は笑う。
「これを何に使うの?理由によっては、貸してあげる。」
柔らかい口調でとんでもないことを口にする彼。しかし、それを問う瞳はただ笑顔を湛えているだけではない。己の欲望のためにと望めば、きっと彼はそのまま消えてしまうだろうことが纏う空気から感じ取れた。
「プラチナ様を、助けたい……。」
取り繕うことすらせずに、真実を告げる。
己の取った行動によって彼が心に深い傷を負ったこと、そしてその結果無理をしたプラチナが倒れ、今生命の危機に晒されていること。
「そう…。寂しかったんだね、プラチナも、君も……。」
淡く微笑んで彼はジェイドに抱きついた。
「大丈夫…、彼は助かるよ。君の想いがあれば。」
自分より背の高いジェイドの頭をなでてやり、彼は微笑んだ。
「さ、急ごう。早く助けてあげないとね。」
その言葉に頷き、体を離そうとしたジェイドを彼は引き止める。
「このまま…。あなたが今一番行きたい場所を思い浮かべて……。」
「行きたい場所…。それはどこでも良いのですか?」
ジェイドの言葉に彼は笑う。
「そう。例えば天上であってもね。」
「疑わないんですか?私は…、自分の願いのためにプラチナ様を見捨てるかもしれませんよ。」
彼は一度体を離しジェイドを見上げた。
「そうだね。プラチナはきっと、それでも幸せだと言うだろうね。それがあなたの願いなら…。」
穏やかで悲しい笑顔を彼は浮かべた。
「―――――――どうしてです!?なぜ、自分の幸せのためにと、願ってくれないんです!?そうすれば私は、迷わずに彼と共にあることを願えたのに…!!」
悲痛な声を上げるジェイドを、彼は再び抱きしめる。
「それは、プラチナに聞きなさい。天使、あなたがしたこともプラチナのしたこともお互いを思うがゆえ…。想いは伝わるから。」
「……………。」
ジェイドを抱きしめた腕に、僅かに力が込められた。
「さあ、願いなさい。あなたが今、一番帰りたいと思う場所へ……。」
「――――あなたは、まさか……。」
彼の言葉に、力に、彼の身分を感じ取り、ジェイドは茫然と呟いた。
「祈りを…。」
澄んだ声と温かい眼差しに、確信を抱きジェイドは願った。
帰る場所は、ただひとつ――――。



〜continue〜