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ジェイドと過ごす時間が短くなっている。 仕事が忙しいのだから仕方ないと思っていたのだが、どうやらそれだけではないらしいとアレクが言った。サフィルスの家には来客があったことを示すティーカップが二つ。特にもてなしをした形跡もないという。ただ、お茶を飲んだだけだという様相だったらしい。 きっとジェイドは仕事帰りにサフィルスの家に行っているのだろう。そして、そこで何かをしている…。アレクと二人でジェイドの屋敷で一日を過ごすようになった最近。今までと違い一人きりでないからと安心しているのかもしれない。 「もう!何なんだよ!!『大切にお守りしますから』とか言って俺のこと連れ込んだくせに!!」 「つ、連れ……。兄上……。」 不機嫌も露に怒鳴ったアレクの発言に言葉を失ったプラチナは、窓から空を見上げた。アレクの苛立ちももっともだ、今はもう夜の10時を回っている。彼らが戻ってくるまではできるだけ起きて待っていようとしている二人だが、まだ幼い彼らには限度がある。 「あんまり遅くまで起きてると体に悪いね。そろそろ寝よっか。」 本当ならいつまでも起きて待っていたいプラチナだったが、自分の体が弱いことを十分に知っている兄に言われては頷くことしかできない。 プラチナは自室でにんじん枕を抱えると客室のアレクの元へと急いだ。一人では寝られないアレクのためである。 二人で大きなベッドに潜り込み上掛けをかける。 「どうしたんだろうな…サフィたち……。プラチナ、あいつらって前からこんなに忙しかったの?」 向かい合って転がっているとアレクが声をかけてきた。その問いにプラチナは首を振る。 「この間までは、忙しくてもこんなに遅くまで帰らないことはなかった…。」 ジェイドが戻らない日はいつもジェイドの部屋のベッドに潜り込んでいた。たった一日でも会えないのが寂しくて、悲しくて泣いていた。 それが鬱陶しかったのだろうか。だから、いつも無理をしてでも帰ってきていたのかもしれない。 だが、今はアレクがいる。一人ではないから元の落ち着いた生活に戻れると、ジェイドはそう思っているのでは……。考え出すと暗い思考は止まらなくなる。 「兄上…、もしかしたらジェイドは、俺が邪魔なのかもしれない……。」 プラチナの言葉にアレクは驚いたような顔をする。 「は…?何言ってんの、プラチナ。」 呆れたような声を出すアレクに、プラチナは目を伏せる。長い耳もしょんぼりと垂れ下がってしまって哀れさを誘った。 「違うよ、プラチナ。そんなこと絶対にない!!」 それは傍から見ている者たちにしてみれば一目瞭然である。力いっぱい否定するアレクに、プラチナは不安そうな視線を向けた。 「そうだろうか……。」 「そんなに心配なら本人に聞けばいいんだ!アイツは嫌いな相手のために食器揃えてやったり、ベッド作ってやったりなんてしないよ、絶対!!!」 聞きに行こう!とアレクは息巻いてプラチナの腕を引っ張る。 「あ、兄上、ダメだ。俺たちは留守番するようにと…。」 焦るプラチナにアレクは笑う。 「大切な弟を泣かす奴のことなんか構うもんか。どうせこの家、結界で守られてるんだろ?だったら俺たちがいてもいなくても関係ないって。」 プラチナを強制的に外出着に着替えさせると、屋敷の鍵もかけずに外へと飛び出した。 目指すはサフィルスの屋敷。おそらく二人が何らかの会合を開いているだろう場所。 予想通り、彼らはそこにいた。その事実に胸を痛めながらも、プラチナはアレクの後についていく。 「隠し部屋があるんだ。きっとあそこならあいつらの話してることも聞けると思うよ。」 いけないとわかっていながらもプラチナは頷いた。 人が通れるギリギリの扉も小さな彼らにとっては問題にならない。屋敷内と思えない程の迷路のような通路を歩きに歩いて、二人が到着したのは狭い部屋だった。僅かにある隙間から二人の様子を窺うこともできる。ジェイドは視線や気配に異常な程敏感だということを知っているプラチナは様子を見たいのを我慢して二人の会話に耳をすませた。 「―――――で、決行はいつにするんです?」 潜められた声はサフィルスのもの。ジェイドの他には誰もいない筈なのにそうして話すのは余程慎重になっているという証拠。 「来週だ。三日間の視察の予定がある。その間に俺たちが……。」 普段より低いジェイドの声が不穏な空気を感じさせた。 「もうすぐ、ですね…。やっと戻れるんですね…。」 「ああ……。長かった…。これでこの場所ともお別れだ。」 嬉しそうなジェイドの声にプラチナは俯く。 「ジェイド……。」 今、彼がどんな顔をしているのかをひと目だけでも見てみたいと思ったプラチナは、恐る恐る隙間に近づいた。アレクも触発されたように覗き込む。 二人の視界に白が散った。 ジェイドとサフィルスの背には白い大きな羽根。 「「―――――――――ッ!!」」 驚愕に二人の口から声が漏れた。 「――――――ッ!!!」 ジェイドがそれを聞き逃すはずもなく、鋭い視線が投げかけられる。 「どうしたんです!?」 サフィルスに言葉を返すこともせずにジェイドは壁にある隠し扉を開いた。 ――――しかし、そこには誰の姿もない。 「ジェイド、どうしたんです?」 「誰かがここにいた。」 遅れて部屋に入ってきたサフィルスに忌々しげに伝える。 「そんな!!それじゃあ、さっきまでの話は…。」 「ああ、聞かれていたことになる。だが…。」 蒼白になるサフィルスに対して、ジェイドは余裕ありげに笑っていた。 「邪魔者は消す。それだけだろう。」 窓辺にとまっていた小鳥を夜空に放す。夜の間でも視力を失わないように魔力を与えた小鳥の目に映る景色が二人の頭に流れ込んでくる。程なくして道を駆けていく影を捕らえた。小さな影。それは今にも泣き出しそうな顔をしたウサギの兄弟だった。 「アレク様………。」 「………………。」 沈黙。重い空気が室内に立ち込める。それを破ったのはサフィルスだった。 「ねえ、ジェイド…。全てが終わって、私たちはやっとここを離れることができる…。けれど、そのとき彼らはどうなるんですか…?」 その日が近くなるに連れて心に重くのしかかってくるそれを、考えないようにしていたジェイドは顔を背けた。 「私は、アレク様と一緒にいたいです……。」 「無理だな。」 間髪入れずに答えたジェイドにサフィルスは悲しそうに顔を歪めた。 「それじゃあ、あなたはプラチナを捨てていくんですか!?」 「――――――それしか、ないだろう?」 苦々しく言ったジェイドの珍しく露にされた本心に、その心境を察したのかサフィルスもそれ以上の追求をやめた。 「お守りしますって、約束したんです。アレク様と……。」 「大丈夫だろう、もう、一人じゃないんだからな…。」 仲睦まじい兄弟の姿を微笑ましく、そして妬ましく思いながらジェイドは呟いた。 「……………。」 テーブルに広げていた城内の図面を片付けると、ジェイドは大きく伸びをした。 「さあ、ウサギさんたちをお迎えに上がりますか。」 「―――――そうですね…。」 「苦しい、つっかれたぁ〜〜!!」 二人で必死に走って屋敷に駆け込むと、アレクは中庭の見える部屋のソファに転がった。 「……………。」 プラチナは息を切らし、黙ったまま俯いている。 「だ、大丈夫、プラチナ!!?」 心配そうなアレクの声にプラチナは顔を上げる。 「大丈夫だ、兄上……。」 笑ってみせるプラチナだったが、その顔色は月明かりのせいだけでなく青白い。 「見なかったことにしよう…。」 唐突な言葉だったが、アレクもすぐに理解した。 「でも、きっとサフィたち気付いてるよ?」 プラチナは頷いた。 「わかっている。でも、知らないふりをするんだ。俺たちはあの場所に行かなかった。何も聞かなかった。あいつらがずっと望んでいた何かが、やっと実現するんだろう。……ジェイドの邪魔にはなりたくない。」 俯いてしまった弟にアレクは頷いた。 「わかったよ、プラチナ。俺、絶対に言わない。俺たちは何も知らない。サフィが話してくれるまでは、何も…。」 安堵の表情を浮かべるプラチナにアレクも笑う。 「サフィ、どこか行っちゃうのかな…。」 アレクの呟きにプラチナは答えなかった。 「ただいま戻りました。」 それから少しして屋敷のドアが開かれた。 迎えに出た兄弟に彼らは笑ってみせる。 「今日もしっかりとお留守番できましたか?」 いつもなら自信満々に頷くこの問いが今日はやけに重い。 「当然!!」 元気に声を上げたアレクに勇気づけられ、プラチナもコクリと頷いた。 「そうですか…。ありがとうございました。」 いつもならそこでジェイドの腕に抱き上げられるのだが、ジェイドはさっさと奥に入っていってしまった。首を傾げるプラチナだったが、とりあえず今から帰路につくアレクに別れを告げる。 アレクはサフィルスの腕に抱き上げられて帰っていく。それを見送ったプラチナはジェイドを追いかけた。 「今日は夕食召し上がらなかったんですか?」 「………食欲がなかったんだ。」 全く手のつけられていない鍋の中身を見たジェイドに、そう答えてプラチナは俯いた。 「そうですか、それじゃ早く休んだほうがいいですね。」 ふいに感じた違和感。その理由に気付いたプラチナは表情を歪めた。ジェイドは帰ってから一度もプラチナを見ようとしない。ただ会話が交わされているだけなのだ。 「………ジェイド?」 「何です?」 遠慮がちにかけられた声にもジェイドは応える。ただし、視線は移らない。 「――――――ッ…。」 胸に鈍い痛みが走り、プラチナは声を飲み込んだ。呼吸が切迫する。 「……何でも、ない。もう…、寝る………。」 ジェイドはやはり気付いていて、そして怒っている。自分たちが邪魔をするのではないかと疑っている。その考えに至り悲しみが隠しきれなくなったプラチナは、涙が溢れそうになっている瞳を見られたくなくてジェイドから逃れるように背を向けた。 長い耳を垂らして部屋に向かう後ろ姿は酷く頼りない。 「ジェイド……。」 「何です?」 名を呼びながらもプラチナが振り向いた気配はない。ジェイドは気取られぬようにプラチナに視線をあてた。 「――――お前は、お前の好きなように生きればいい。俺は、何も知らないし、知ろうとは思わない。……お前がいなくなっても、俺は生きていけるから……。」 ハッキリと告げられた言葉に、今度はジェイドが衝撃を受けた。 寂しがりのプラチナのことだから、きっと行かないで欲しいと泣くと思っていたのに、その予想が大きく裏切られたことがショックだった。 『お前がいなくなっても、俺は生きていける』、要するに自分は彼の中でそこまで重要ではないのだと。そう思ったジェイドは胸に冷たい塊が落ちるのを感じた。寂しさと痛みと、今更そんなことを言うプラチナへの怒り。全ての負の感情を押し固めたようなそれに知らず体が震えた。 「……おやすみなさい。」 普段のような慈しみを感じられる声音ではない、事務的なそれにプラチナは唇を噛み締めた。 「おやすみ…。」 プラチナの後ろ姿を見つめる苦しさを湛えた紫色の瞳と、ジェイドの幸せを願ってついた嘘に涙を零す蒼い瞳。 二人の間を分かつように月の光は降り注いでいた。
〜continue〜
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