はね…る…? 2 | ![]() | |
「―――――お帰りになるんですか?」 ジェイドの言葉に彼は頷いた。 「さすがにこれ以上仕事を放っておくわけにはいかないからね。それに…。」 視線を移した先にはアレク・プラチナと遊ぶセレスの姿。 「セレスとも仲直りできたし。」 そう言って笑う姿は、まだ幼い子供のように見える。 「そうですね、確かにあなた方は上にいらした方が良いでしょう。ですが……。」 ジェイドの内を占める不安。それはプラチナまでもが彼らと共に自分の世界へ帰ってしまうのではないかということ。 言葉を詰まらせたジェイドの思いに気付いている彼は、ふわりと微笑んだ。 「言ってみるといいよ、プラチナに。『ずっと傍にいて欲しい』って…。きっと彼は叶えてくれる。」 意地悪く笑った彼にジェイドは苦笑した。 「今までの私だったら、きっと迷わずにそうしていたでしょうけどね…。でも、そうやって誓約で縛って、無理やりに彼を手に入れても仕方がないんですよ。ただ彼の体が傍にあっても、気持ちが伴わなければ意味がない。……あの人に出会う前の付き合いみたいに、割り切れるだけの気持ちなら楽だったんでしょうけどね。」 ジェイドの言葉に彼は笑顔で頷いた。 「試すようなことを言ってすまない。でも、その言葉を聞いて安心した。あなたならきっと……。」 「ジェイドなんかと話してないで、君もこっちに来なよ。」 乱入してきた声に、彼は会話を打ち切ってセレスの元へ行ってしまう。 「『あなたならきっと』って、一体俺が何だって言うんだ…?」 彼の言葉は、ジェイドの中の大きな不安と相まって苛立ちを高める役割を果たす。 「どうしたんだ?ジェイド。」 ずっと考え込んでいる様子のジェイドを心配したプラチナが、足元に駆けてきてその顔を見上げる。 「何でもありませんよ。アレク様たちと遊んでいてください。」 にこりと笑われたプラチナはじっとジェイドの顔を見つめていたが、やがて悲しそうに瞳を伏せて踵を返した。 「プラチナ、もしかしてジェイドにいじめられたの?」 ジェイドの所から帰ってきた後からずっと俯いているプラチナの顔を覗き込み、心配そうに問いかけてくるアレクにプラチナは首を振った。 「兄上、ジェイドは悪くない。何もしていない…。」 向けられた笑顔が、ジェイドの拒絶であることに気付いたプラチナは、おとなしく言うことに従ってアレクの元に戻ってきたのだ。ジェイドを困らせないように。そして…。 「今度こそ、俺はジェイドの考えてることをわかってやらないといけないんだ。」 ジェイドの考えていることを理解するために。真剣なプラチナにアレクは頷いた。 「わかったよプラチナ。がんばれ!!でも、いざとなったらお兄ちゃんを頼るんだぞ。」 にっこり笑うアレクにプラチナも笑い返した。 「ありがとう、兄上。」 礼を残してプラチナは自分の部屋へと上がって行った。 「おれは、ジェイドを怒らせるようなことをしたか…?」 自室のベッドにうつ伏せて呟くプラチナ。答えは否だった。ジェイドの態度から考えても、怒っているという風情ではない。 「兄上やセレス達と、仲良くしすぎた…か……?」 これに関しては難しいところだったが、それでも違うような気がしてプラチナは小さく首を振る。 「怒るとか、やきもちとか…。そういう感じではなかった、気がするな。あれは……。」 紫色の瞳の奥にはどこか悲しそうな揺らぎがあったように感じた。 「寂しい……?」 呟いてプラチナは顔を上げた。 今も屋敷の中には知り合いが大勢いる。サフィルスやアレクがいるのだからジェイドが話についていけないなどということはなく、知り合いという点においてはセレスもその片割れの彼も、それこそ全員と面識があり、ジェイドが不安を感じる要素がない。 第一ジェイドが話題についていけないことや、他人ばかりで気後れすること事態が有り得ないのだから。 「では、どうして……。」 わからないことが多すぎる。 プラチナも決して思慮が浅いわけではない。むしろ思慮深いと評される程なのだが、いかんせんジェイドは難しすぎる。誰も思いつかないようなことを、ひどく気にする面があることをプラチナは知っていた。 部屋に差し込む月の光が、床に窓枠の影を作り出している。 「聞きに行こう…。」 意を決したプラチナはベッドから下りた。 皆が集まっている部屋に行き、そこでジェイドは自室に戻ったと聞いたプラチナは再び階段に向かう。その途中サフィルスに呼び止められた。怯えながらゆっくりと振り返るプラチナにサフィルスは苦笑する。 「今日は意地悪なんてしませんから、緊張せずに聞いてください。」 穏やかな表情のサフィルスにプラチナは肩の力を抜いた。 「あの人、また余計なことを考えているみたいです。さっき神様とお話をして、その後から様子が変わったように見えました。」 「何を、話していたんだ?」 問いかけてくるプラチナに彼は首を振った。 「残念ながら…。私はセレス様のお話を聞いていましたので。」 お役に立てなくてすみません、と続けたサフィルスにプラチナは首を振った。 「十分だ。これで少しは話の内容を推測できる。……ありがとう。」 笑顔を見せたプラチナに、知らずサフィルスの表情も和らぐ。 「ジェイドをお願いしますね、彼を救えるのはあなただけですから。」 サフィルスが見せた同胞への労りにプラチナは笑顔で頷いた。 「プラチナ、がんばれ!!」 いつの間にいたのか、アレクがサフィルスの足元から顔を出し笑顔を見せる。 「今度こそ間違えない。」 意志の強い瞳が煌く。 「ねえ、サフィ…。サフィは、どこかへ行ったりしないよね?」 プラチナを見送ったアレクは、元の大きさに戻ってサフィルスに抱きついた。 「ええ、私はいつでもアレク様のお傍にいます。」 優しく笑うサフィルスにアレクは頷いた。 「空に…、天上に帰ったりするなよ、絶対に。」 命令する口調とは裏腹に、サフィルスを見上げるアレクの赤い瞳は不安に揺れている。 「帰ったりなんてしませんよ。だって、あの空にあなたはいませんから…。」 優しく囁く声に、アレクは満面の笑顔を浮かべた。 ジェイドの自室のドアの前、プラチナは大きく息を吸った。心臓がバクバク言っているのを宥めるため、瞳を閉じて深呼吸を繰り返す。そして、勇気を振り絞ってドアを叩いた。 「ジェイド…?」 返事は返らない。それどころか室内に人の気配すら感じられない。不安になったプラチナは躊躇いがちにドアを開けた。 「プラチナ様……。」 静かな声。気配を感じなかったのは彼が気配を消していたからではなく、彼の周囲を取り巻く全てが恐ろしいほどに静まり返っていたからだった。室内の灯りは落としたまま、強い月の光だけが光源となっている。 「――――どうかしたのか…?」 恐る恐るといった風情で問いかけるプラチナに、ジェイドは静かに笑んだ。 「月を…、見ていたんです。」 その言葉の通り、バルコニーへと続く窓が開け放たれていて、ジェイドはそこから空を眺めている。 「ね、綺麗でしょう?」 ゾッとするほど冷めた声だった。振り向いたジェイドの背に月の光が当たり、それが羽根のように見える。今にも羽ばたいて行ってしまいそうな……。 「ジェイド!!」 叫んだプラチナは一気に駆け出してジェイドの背に抱きつく。小さかった体は元の大きさである青年の姿に戻っていた。 「嫌だ、どこにも行かないでくれ!!」 「――――プラチナ様?」 必死に訴えるプラチナにジェイドは目を見開いた。 「お前が天上に帰りたがっているのは知っている。そのためにセレスの言うことに従ってきたことも…。」 先程セレスが話していたのだ。月での力関係を明白にするためには、神の石を取り戻すのが一番手っ取り早かったこと。そして、長期に渡り月を離れるわけにいかなかったセレスが、石を取り戻すために奈落に堕ちた二人を利用したこと。彼らの、天上に帰りたいという強い願いがあったからこそ取引が成り立ったのだということも…。 「これは、俺の我侭だ…。でも、わかっていても願わずにはいられない…!!ここに…いて欲しい……。」 ジェイドの服をきつく握り締めて、必死で訴えかける。 「ジェイドが傍にいないのは嫌だ!!俺は、ジェイドがいない世界で生きていくなんて……嫌だ!!!!」 その言葉を聞いていたジェイドは、悲痛な声を上げるプラチナの体を抱いて自分の体の正面に移動させた。 「あなたと共にあることができるならば、俺はどこにも行きませんよ…。」 その言葉に頷いてプラチナは顔を上げた。しかし、その瞳に映ったジェイドの紫色の瞳には未だ悲しみが渦巻いている。 「俺は、あなたがいない世界で生きていくなんてごめんですよ。離れて生きていくことなんて考えられない。でも……。」 途切れた言葉に不安を募らせ、プラチナは震える手をきつく握り締めた。 「あなたは…、帰ってしまうのでしょう?」 苦しそうに絞り出したような声と、責める響き。プラチナは幾度か瞬いた後、その問いの意味を理解して激しく頭を振った。 「あの人から何を聞いたか知らないけれど、俺は帰らない!!」 先程サフィルスから聞いた話を思い出し、ジェイドが気に病んでいる事を見抜いたプラチナは、必死にそれを否定する。 「確かに月は俺の生まれた世界だ。王子としての務めもあるし、家族とも離れてしまう。でも!!それ以上に大切だと思うのは、ジェイドのことだけだ!!!」 顔を赤く染めながら言い募るプラチナを、ジェイドは信じられない思いで見つめていた。 「これは俺の我侭だ。だから、どんなに責められても仕方がない。けれど、誰に疎まれるよりも、ジェイドに嫌われるのが、いらないと思われるのが一番…怖い……。」 「プラチナ様……。」 饒舌ではないプラチナが必死で想いを伝えようと口にするその言葉は、ジェイド自身驚くほどにすんなりと内に響いた。 「俺は、絶対にジェイドと離れたくない…。だから…ッ!!」 自分のために言葉を紡ぐ、その様子が愛しくてジェイドはプラチナに口づける。 「―――――ぁふッ…、……じぇ…ど………。」 軽く触れ合うそれから徐々に深くしていき、呼吸を奪うほどの勢いで口腔を貪る。体が離れた時、プラチナは肩で息をしながら床に座り込んだ。 「おや、腰抜けちゃいました?」 クスクスと笑う彼をプラチナは潤んだ瞳で睨みつける。 「お前……ッ!!」 「ずっと俺の傍にいてくださいね?あなたのいない世界で生きるなんて、俺には耐えられそうもないですから…。」 甘い言葉でそう告げたものの、突然の暴挙に怒っているプラチナはジェイドを見ようともしない。困ったように笑って、ジェイドはプラチナを抱き上げた。 『愛しています、プラチナ様。』 プラチナを横抱きにしてその耳元で囁く。 「―――――!!」 力なく下がっていた白い耳がピンと立つ。 「プラチナ様、返事は?」 意地の悪い言葉とは裏腹の、真摯な眼差しにプラチナは顔を赤くして俯いた。 「プラチナさ…ッ!?」 掠めるような口づけと、耳元で小さく囁かれた言葉に、ジェイドは手で顔を覆った。 「これからも、ずっと……一緒、だな。」 柔らかな微笑を浮かべて抱きついたプラチナとしっかりと受け止めたジェイド。月明かりの中、再び二つの影が重なった。 『ずっと一緒に。離れることなく……傍に………。 俺は…、ジェイドを愛してる。』 *** 「プラチナ様、今日は生きのいい魚をもらってきましたよ。」 年越しの準備。いろいろな飾り物と鮮やかな食材達。 年始の料理に使う魚の下ごしらえと聞いて、プラチナは手伝いのために調理台に飛び乗った。大きなボウルに入っている魚を両手で抱き上げると、体長はプラチナの背と同じかそれ以上あるようだった。 「あ、プラチナ様ダメですよ、それは……。」 ジェイドが言い終わらないうちにプラチナの腕の中で魚が跳ねた。 「――――――!!」 押さえきることができなかった魚がプラチナの腕から跳ね、ボウルに戻る際にそのシッポがプラチナの顔を叩いた。 「あ〜〜…。大丈夫、ですか?」 ベチンと派手な音を聞いたジェイドは、額の辺りを押さえてしゃがみ込んでいるプラチナに苦笑交じりに声をかけた。ボウルの中ではすっかり元気になった魚がビチビチと跳ねている。 「……ジェイド。」 「何です?」 プラチナは立ち上がると元気よく笑った。額の辺りがうっすらと赤くなっているのが笑いを誘うが、さすがにそれは耐えてジェイドは答える。 「この前できた池にこいつを放そう!!」 「――――えぇッ!!飼うおつもりですか!?」 先日の戦いでベリルが放った魔法が地を抉りできた大きな穴。そこにいつの間にやら水が溜まり今では池ができているのだ。ただ水があるだけのそれを埋めなかったのは、池の存在をプラチナが喜んだからである。 「これだけ元気なら大丈夫だろう?」 嬉しそうなプラチナに反対することもできず、ジェイドは新年の食材だった魚を池に放した。 「よかったな。」 泳ぎ回る魚を眺めて嬉しそうなプラチナに、ジェイドは苦笑する。 「これからお前の仲間もたくさんつれてくるからな。」 得意げに言ったプラチナに、ジェイドは嫌な予感を募らせる。 「まさか…、プラチナ様。これから俺が魚を買ってくる度、ここに放すつもりじゃないでしょうね…?」 その言葉にプラチナは首を傾げる。 「ダメか…?」 可愛らしいおねだりのポーズにクラクラしながら、ジェイドは了承せざるを得なかった。 これから先もプラチナの『お願い』に振り回され続けるのだろうという嬉しい予感を感じながら。 「さ、行きましょうか。そろそろ夕食の準備を始めましょう…。」 屋敷の方へと歩き出したジェイドを追いかけるプラチナの小さな体がピョコリと跳ねた。 ――――――幸せな一年が始まる。
〜HAPPY END〜
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