怪盗Z 10
2/14 (バレンタインデー)
2月14日。店という店に甘い匂いのチョコレートが溢れる時期。楽しげにチョコレートを選ぶ女性の姿はとても可愛らしく、ジタンはこの時期は嫌いではなかった。
役者であるジタンに宛てられるチョコはそれなりの数になる。ジタンはそのひとつひとつに目を通し、添えてあるメッセージカードだけを受け取って稽古場を後にした。
合鍵を使って入ったのはレオンの部屋。今ではジタンの私物も増え、二人の部屋のようになっている。
時計に目を向けると時刻は午後7時。今日は早く帰ってきて欲しいと言ってあるので、間もなく部屋の主は戻ってくるであろう。ジタンは自宅で用意してきた夕飯を温める為にキッチンへと向かった。
家の中に食欲をそそる匂いがたつ頃、がちゃりと鍵を開ける音と共に、レオンが自宅へと帰ってきた。
「おかえり」
「ただいま。待たせてすまなかったな」
「丁度いいよ。さっきメシの準備ができた所だし」
レオンがエプロン姿のジタンを抱き寄せ、その柔らかな唇にキスを落とす。触れるだけのそれは帰宅した際の習慣のようになっていた。
唇が触れた時、レオンの息が乱れている事がわかった。急いで帰ってきてくれたのだろう、レオンの想いが唇から伝わってきて、ジタンはとろけるように笑った。
レオンの上着と荷物を受け取ると、普段は持ち歩かないような紙袋がある事に気付く。そっと中身を確認すると、それは紙袋いっぱいに入ったチョコレートだった。
「軍でもらったのか? 持って帰るなんて珍しいな」
これまでの付き合いの中でレオンがチョコレートを持ち帰っていた記憶はない。職場で仲間内と消費してたという話は聞いた事があるが。
「お前に渡そうと思って」
「…いくらなんでもデリカシーなさすぎだろ」
他所でもらったチョコレートを恋人に渡すとは。自分に渡された事よりも、レオンにチョコレートを贈った相手を思い、ジタンは苦言を呈した。
「ああ違う、そうじゃない」
ジタンの不機嫌そうな声にレオンは慌てて否定する。
「お前は施設に寄付していると言っていた事を思い出してな。これも持っていってくれないか」
ジタンが所属している劇団に贈られたチョコレートは全て孤児院などの施設へと寄付されている。とても個人で食べきれる量ではないという理由もあるのだが。ジタンが持ち帰るのは、同じ劇団員からもらう義理チョコくらいのものだった。
「ああ、そういう事なら…」
レオンらしい理由だ。ジタンはほっと息をつき、紙袋を持ってリビングへと向かった。
夕飯を済ませ、ジタンは紙袋の中のチョコレートを確認した。施設に送るものには制限があるためだ。手作りであったり酒が使われているものは送ることができない。
(あ、これは…)
部署の連名によるチョコレートはいかにも義理であるが、そんなチョコレートに紛れて有名店のチョコレートが入っていた。
こういったものに疎いレオンは気付いていないだろうが、とても義理として贈る金額のものではない。どう見ても本命であろうそれにジタンは目を細めた。
(でも、レオンは俺のだから)
名前のついていないチョコレート。レオンに贈った女性を思うと心苦しいが、ジタンはそれをそっと他のチョコレートの中に戻した。
「どうした?」
「ん、なんでもない。これは受け取っておいてやれよ」
そう言ってジタンがレオンに渡したのは、レオンに助けられたことがある子供が感謝の手紙と共に贈ったチョコレートである。
「そうだな。…しかし俺は一番欲しい相手からもらえていない」
晩酌をあおりながらレオンが深い溜め息をつく。わざとらしいそれにジタンは笑いながら手荷物の中からラッピングされたチョコレートを取り出した。
「レアな本命チョコ。ちゃんと味わって食えよ?」
「勿論だ」
レオンはチョコを持つジタンの手ごと掴み、その身体を引き寄せる。そして抵抗することなく腕の中に収まった恋人の唇にキスを落とした。
レオンの口の中に僅かに残っていた酒の味に、ジタンは身体が熱くなるのを感じ、ゆっくりと目を閉じた。
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2/15 (バレンタインデーの次の日)
バレンタインデーの朝。
いつものようにレオンとスコールを見送ったふたりのジタンは、お揃いのエプロンを身に着け、キッチンに立っていた。
「中にお湯が入らないように気をつけるんだぞ」
「わかった」
踏み台に乗ってテンパリングをしているのは小さなジタン。養い親のジタンに指示されながらチョコレートを作っていた。
小さなジタンが幼い頃はチョコレートをもらう側であったが、いつからかこうして作る側へと回っていた。他ならぬスコールにチョコレートをあげたいからである。
「明日の分はどうするんだ?」
「明日?」
「スコールに予告状、出してただろ。ピンク色の怪盗さん?」
「あっ、それは…」
軍に所属しているスコール宛に出した予告状。
今回は銀色の怪盗は伴わず、ジタンの独断で出していた。それはもちろんレオンの目にも触れることとなり、養い親のジタンにも伝わっている。
「それはもう用意してあるんだ。“オレ”がスコールにあげるのと同じじゃまずいから、別のやつ」
「ふーん?」
この時、ジタンは少しだけ嘘をついていた。
実はまだ準備はしていない。明日、養い親が仕事で外出した後にこっそりと作るつもりだった。誰の手も借りず、一人で。
その頃、スコールは一枚の紙を凝視し、不機嫌そうに眉を寄せていた。
『2月15日の21時。時計台の広場にて待つ。 ──怪盗Z(ピンクのほう)──』
予告状というよりは、ただの呼び出しである。
そしてこの小さな怪盗は、クリスマスや正月などを1日ずらして行うという経歴を持っている。彼の目的が何なのか、スコールは察しがついていた。
自分はジタン以外からのチョコレートは受け取る気はない。
実際、軍の女性からのチョコレートは義理を含め全て断っていた。それらのチョコは養父であるレオンに流れていった様であるが。
自分はこんな呼び出しになど応じる気はない。
そう、心に決めたはずなのだが───。
(なんで俺は…)
翌日の20時50分。スコールは人気のない時計台の広場に立っていた。
あの小さな怪盗は自分の管轄である。これは仕事なのだと自分に言い訳をしながら、指定された時間の十分前には呼び出された場所に立っていた。
そして21時。黒いマントを身に纏った怪盗が姿を現した。
「怪盗Z!」
「………」
暗闇の中から現れた怪盗は、俯きながらゆっくりとスコールの元へと歩いていく。いつもスコールを押し倒さんばかりに勢い良く飛びついてくるというのに、彼の足どりは重い。
「……?」
スコールが怪訝な顔をしていると、怪盗はマントの中から手を出した。
ピンク色の怪盗の手には、小さな包み紙がひとつ握られている。
「チョコさ、他のは失敗しちまってこれしか…。でもこれもあんまり…」
小さな小さな包み紙の中身はチョコレートがひとつ。
怪盗はスコールと目を合わせる事ができず、仮面の中の瞳を伏せた。
力なく垂れている、尻尾。
そんな怪盗の様子にスコールはやり辛そうに頭を掻くと、一度大きく息をはき、大股で怪盗へと近付いていった。
「…よこせ!」
そして乱暴にチョコレートを奪い取ると、無造作にそれを口の中へと放り込んだ。スコールの予期せぬ行動にピンク色の怪盗は呆気にとられる。
「…悪く、ない」
「スコール…」
しかめっ面でチョコを食べるスコールに、ジタンは垂れていた尻尾を上げた。
ジタンとしてスコールに渡したチョコは、上手に作る事ができた。
しかし一人で作ったものは上手く固まらなかったり、形がいびつだったり。養い親がどれだけサポートしていてくれていたか、嫌でも実感してしまった。
バレンタインの当日、スコールはチョコを持ち帰る事はなかった。レオンに聞くと、全て断っていたらしい。ふたりのジタンからは受け取っていたが、それは幼い頃から毎年贈っていた家族からのチョコレートだからだろう。
だから、こうして怪盗として贈るチョコレートを受け取ってくれるとは思っていなかったのだ。
「…スコール!」
「う、わっ」
ピンク色の怪盗は尻尾を立てながらスコールに抱きついた。飛び込んで来た小さな体を反射的に受け止めたスコールの頬を、両手で覆う。
そして合わさる唇。
それは少し苦い、チョコレートの味がした。
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3/14(ホワイトデー)
「………」
落ち着かない様子でショーケースの前を行ったり来たりする少年が、ひとり。
眉間に深いしわを寄せて悩んでいる姿を、売り場に立つ店員は微笑ましく見守っていた。
売り場の天井からは『ホワイトデー』も大きく書かれた看板がぶらさがっている。
この日は3月13日。ホワイトデーは翌日に迫っていた。
養い親であるジタンへのお返しは義父であるレオンと共に購入済み。しかし弟のような存在であるジタンへのお返しは自分で買いに行くと言い、その時は買わなかったのである。
自分一人だけの力でプレゼントを選び、贈りたい。
しかしスコールはそういった店にも物にも疎く、どれならジタンが喜んでくれるのか全く検討がつかなかった。
こんな事ならレオンと買い物に来た時に一緒に買っておくべきだった。何度目かの往復の末に目にとまったのは、猫の絵が描かれているチョコレートだった。
白いハート型のチョコレートに描かれている猫は金色の毛並みをしていて、スコールの脳裏で愛しい尻尾と重なる。
これが良い。
スコールは金色の猫のチョコレートをラッピングするように店員に頼んだ。
ようやく決まった贈り物にほっと息をつく。
ラッピングを待つ間、スコールはショーケースの上に並べられているものを眺めていた。
小さなクッキーの包みや、カラフルなキャンディーで作った小振りのブーケ。
ブーケの真ん中にある、ピンク色のハートのキャンディー。それを見たスコールははっとした。
忘れていたわけではない。しかし自分はジタンにだけプレゼントを渡したいのだ。
だから必要ない。必要ない…はずなのだが。
失敗したチョコレートを手に、悲しそうに垂れていたピンク色の尻尾が脳裏をよぎる。
「……っ」
スコールは無造作にそのキャンディーを掴むと、店員に声をかけた。
そして翌日。レオンとスコールは出勤前に、二人のジタンにホワイトデーのプレゼントを贈った。
「俺が好きな店のクッキーだ。意外とやるな、レオン」
「長い付き合いだ。好みくらいは覚えているさ」
何気ない会話だが、ジタンは頬をわずかに赤くし、いとおしげにプレゼントの包みを撫でている。
その手にレオンの手が重なると、ジタンは目を細めてうっとりと微笑んだ。
「お前がくれるものなら、なんだって嬉しいんだ。ありがとな」
そう言うとジタンはレオンの肩に額を擦り付けた。
レオンの大きな手がジタンの身体を包み込む。
スコールとジタンを引き取るよりもずっと前から、二人はこうして想いを重ねてきたのだろう。
「…ジタン、俺からも…」
「オレに…?」
仲睦まじく抱擁する両親とは対照的に、幼い二人はぎくしゃくとしている。
ジタンと目を合わせることができず、僅かに視線を逸らしながらスコールは小さな包みを差し出した。
「これ…、スコールが選んでくれたのか?」
「あ、ああ…」
「そっか」
ジタンは包みを受け取り、その中を確認する。
女性が好みそうな可愛らしい箱。スコールはどんな顔をしてこれを買ったのだろうか。
そして中に入っていた、金の毛並みの猫のチョコレート。ジタンの事を考えていたからこその選択だろう。
スコールが自分の事で頭の中をいっぱいにし、選んでくれた贈り物。
「すっげー嬉しい!…大事に食べるからな」
「…ああ」
ジタンの喜ぶ姿にスコールもまた笑みをこぼした。
それから数日が経った頃、いつものように予告状が届いた。
内容はいつもと変わらず、クジャの家の備品を拝借するという内容のものだった。ケーキの苺だけを盗もうとする、なんとも意地の悪いものだ。
スコールはその予告状を手にし、端から端まで目を通したが、それ以外のメッセージはない。
カードを持つ手に力が籠った。
「怪盗Z参上!」
指定された時間。キッチンの警備に当たっていたレオンとスコールの前に銀色とピンク色の怪盗が現れた。
「ちび、スコールは任せた!」
「オッケー!」
銀色の怪盗に指示され、ピンク色の怪盗はマントを翻して方向転換する。キッチンから遠ざかる小さな影を、スコールは追いかけていった。
「待て!」
風を切ってはためくマントと同じように重力を感じさせない動きで、ピンク色の怪盗はシャンデリアや家具に飛び移りながら移動していく。
自分を撒いてキッチンに戻るつもりなのだろうか。そうはさせまいとスコールは必死に追いかけていく。
やがて部屋の扉の上に設置されている小さな窓に身体を滑らせていくのを見て、スコールは怪盗を追い詰めた事を確信した。彼が入った部屋には、入口以外に扉や窓がないのだ。
「そこまでだ」
部屋に入り、逃げ道を塞ぐように扉の前に立つ。ピンク色の怪盗は慌てた様子もなく、薄暗い室内に佇んでいた。
「あーあ、苺食べ損ねた」
そんな呑気な声に応える事はなく、スコールは大股で怪盗の元へと歩み寄っていく。
スコールがこのまま手を伸ばせば捕まってしまうというのに、目の前の怪盗にはまるで危機感がない。
スコールになら捕まっても良いと言ってのける位なのだ。実際に危機感は感じていないのだろう。
「……?」
スコールが怪盗に向かって手を伸ばした。しかしその手は怪盗を捕まえる事なく、目の前に突き出したまま止まっている。
何事かと、怪盗のピンク色の髪が揺れた。
「…さっさと受け取れ」
「え?」
スコールの手には飴が握られていた。
棒付きのキャンディを束ねた、小さな花束のようなそれ。
「なんであんたはこんな時に限って何の呼び出しもしないんだ」
「は?」
ぐいぐいと押し付けられたキャンディを怪盗が受け取ってみると、棒を束ねるリボンには小さく『whiteday』と書かれている。
バレンタインデーのお返しだと気付くまで、少し時間がかかった。
「…ホワイトデーとか、全然考えてなかった」
ジタンとしてお返しは受け取っていたし、怪盗としてはチョコレートを渡せただけで満足してしまっていたのだ。
スコールが怪盗達に会うためには、怪盗側が現れるのを待つしかない。3月14日からずっとキャンディーを持ち歩いていたのかと思うと、怪盗の口が緩むのも仕方のないことだ。
「笑うな」
「だってさー、へへ」
キャンディーの束を眺めると、青色の飴に目に止まる。
ピンク色の怪盗はそれをリボンから引き抜くと、飴を覆っているビニールを丁寧に剥がした。
「甘い」
嬉しそうにキャンディーを舐める怪盗に、スコールは落ち着かない様子で視線を泳がせる。この隙に捕まえればいいというのに、律儀に待っているらしい。
「早くしろ。戻るのが遅くなると不審に思われるだろ」
「えー。じゃあ手伝ってくれよ」
「…手伝う?」
眉を寄せて首を傾げるスコールの手を、怪盗が引き寄せる。
そしてスコールの口元に、キャンディーを突き出した。
「オレはこっち側舐めるから、スコールはそっち舐めて」
「……っ!?」
ぐっと顔を近付けてきた怪盗に、スコールの頬が赤く染まる。つまり、1つのキャンディーを二人で舐めるということなのだ。
「二人で舐めたほうが早いだろ?それともこんな所、レオン達に見つかりたいのかよ」
「…くそっ」
怪盗にからかわれているのは分かったが、いつまでも此処に留まっているわけにはいかない。スコールは半ば自棄気味に目の前のキャンディーに口を寄せた。
口内に広がる、甘い飴の味。
さっさと舐めきってしまおうと舌を動かしていると、その先に柔らかいものが触れた。
反対側を舐めている、ピンク色の怪盗の舌だ。
驚いて視線を上げると、仮面の下の赤い瞳とかちあう。その目がうっとりと細くなった。
「ほら、早く」
「……っ」
休んでる暇はないぞと怪盗は先を促した。
舌と舌の間にあるキャンディーが小さくなるにつれ、舌が触れ合う頻度が増えていく。唾液の濡れる音に聴覚が刺激され、スコールが僅かに身を引こうとした。しかし頭の後ろに手を回され、引き戻されてしまう。
「ん、ん…っ」
「…っ」
小さくなった飴が棒から外れ、スコールの舌の上に落ちた。そしてそれを追ってきた怪盗の舌がスコールの口内に進入する。
「ふ…っ」
呼吸を奪うかのように口を塞がれ、スコールは息苦しさに目をきつく閉じた。
そして飴が溶けきるのを確認すると、怪盗はゆっくりと身体を離し、唾液で濡れた唇をぺろりと舐めて「ごちそうさま」と囁いた。
それから数分後、腰が抜けて放心しているスコールをレオンが発見した。
苺は守られたが、今回もまたスコールは大事なものを怪盗に奪われたのである。
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