ツイログ5
・クジャジタ
「全く気に食わないね」
土埃で薄汚れたジタンを見下ろしながらクジャがそうぼやく。そんな言葉に対しジタンは反論の余地も無く、肩を竦めることしかできなかった。
新たな神マーテリアによって再びこの世界に召喚され、ティナと共に荒廃した地を歩き進む中、マティウス達の襲撃により窮地に追い込まれる事態となった。そんなジタン達を救ったのは他でもない、目の前にいるクジャだ。
戦場となったひずみを抜けて安全な場所へ移動し、周囲に危険がない事を確認した後に改めてクジャから治療を受けていた。先に手厚く回復魔法をかけられたティナは水を探しに行っており、ここにはジタンとクジャの二人きりである。そしてクジャの口から出たのはそんな言葉だった。
「うわっ」
不機嫌な表情のままのクジャに体を軽々と持ち上げられると、すぐ近くの隆起している岩の上に座らされた。そして乱暴にブーツを脱がされ投げ捨てられる。クジャの足元に音を立てて転がったブーツを呆気にとられた表情で見ていると、冷ややかな視線が注がれる。しかしそれは過去に向けられていたような憤嫉のこもったものではなく、呆れなどといった温度のあるものだった。
「他に怪我がないか確認するんだよ」
さっきも回復魔法をかけてもらったから大丈夫だよ。なんでそんなに機嫌悪いんだ……って、おい」
ジタンの言葉に聞く耳をもたず、クジャは無造作にジタンの足首を掴むとズボンの裾をたくし上げる。このまま服まで脱がされるのではないかという危機感を覚え、ジタンの尻尾の毛が質量を増した。
そして露になった脛をクジャの細い指が伝う。つ、と這う指先からむず痒さと同時に痺れのような感覚が背を伝い、ジタンは慌てて尻尾でクジャの手を叩いて動きを止めさせた。ジタンの体だけではなくその尻尾も先程の戦いで毛並みが乱れ、クジャの白い手を少しばかり汚してしまった。
「さっき君はあんなヤツを相手に、無様に地面に転がっていただろう?」
「うん?」
クジャが現れる直前。セフィロスに追い詰められたティナに駆け寄ることすら叶わず、マティウスの魔力で地に縫い付けられてしまった。その際に自分がどういう扱いを受けていたかは、ティナに意識を向ける事に必死でよく覚えていない。クジャから回復魔法を受けるまでは全身が―――特に頭部に鈍痛を感じていたが、それを気にする間もなく戦闘に突入して今に至る。
んなジタンの様子にクジャが呆れ気味に溜息をつく。足に触れる指の動きが止まり、今度はぴりりと針を刺したような痛みを感じた。
「君に痛みを与えていいのは、僕だけだよ」
「―――……」
クジャの言葉にジタンは目を見開き、眼下で揺れる銀の髪を見つめた。
かつての戦いの中でクジャを追い続け、何度地に膝をついたことか。
雨の中、ぬかるんだ地面に倒れ込んだ自分を見下ろしていたクジャの姿を思い出す。朦朧とした意識の中で記憶に刻み込まれた彼と、自分の足を鷲掴みにしている今の彼では同一人物かと疑うほどに印象が違う。そのせいか雨の地の事が随分昔のことのように思えて、ジタンは苦笑した。
「そんな事で怒ってるのかよ。オレに苦渋を味あわせたのは今までもお前が一番だったよ」
元の世界でおいても、かつて神に召喚された地での戦いの時も、いつでもジタンを翻弄していたのはクジャだった。それを上回る存在などそう現れはしないだろう。
(何のフォローなんだろうな、これ)
誰が一番ジタンを屈服させる事ができるかの競い合いになど正直巻き込まれたくはない。ジタンは軽く頭痛を覚えたが、クジャはその言葉に多少は機嫌が直ったようだった。
「まあ、その記憶が更新されることはもう無いだろうけどね」
今のクジャにジタンと戦う理由はない。先程のように救うことはあれ、傷つけることはもうないのだ。
「ほら、やっぱり傷が残っているじゃないか」
「擦り傷だろ、それ」
クジャが捲り上げたズボンの下に、小さく擦りむけた痕が残っている。指が触れた際に感じた僅かな痛みは、この傷を撫でられたからだろう。傷、と言えるほどの大きさではなかったが。
しかし僅かな傷ですらクジャは気に食わないらしい。彼から感じる魔力の気配に回復魔法をかけられるのだと肌で感じる。
こでジタンは再び素っ頓狂な声を上げることとなる。傷から指を離したクジャが身を屈め、赤い痕に形の良い唇を押し付けてきたからだ。
「おい……っ」
他者の足に口付けるなど。クジャからは到底考えられないような行為だ。
触れた唇と足の間に淡い光がこぼれ、小さな傷は何もなかったかのようにすっと消えていく。
傷が癒えた事を確認したクジャはすぐにジタンの肌から唇を離した。そして用は済んだとばかりに立ち上がり、その場に固まっているジタンを見下ろした。
「……ふうん?」
ジタンの様子を確認したクジャが興味深そうにその顔を覗き込んでくる。そして艶のある唇を釣り上げ、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「君にそういう顔をさせるのも悪くはないね」
「ええ……?」
クジャに覗き込まれた顔は、ほんのり赤く染まっていた。足に口付けられた事への困惑や羞恥心が、あからさまに表情に出てしまっている。
ジタンの苦痛に歪む顔や敵愾心を燃やす姿を特等席で見ることができるのはある意味でクジャの特権だった。しかし闘いの果てに寄り添った二人の間にはもう見ることのない光景である。
「これからは君に新しい感情を刻みつけないといけないね。僕で思考を埋められる程に」
ジタンはクジャの言葉に理解が追い付かず呆然としていたが、突然目の前に迫ってきた青い瞳に驚き、思わず後退ってしまう。そしてバランスを崩して岩から落ちそうになる姿を、クジャはいっそう深い笑みを浮かべて眺めていた。
「覚悟しなよ」
「な、何をだよ?」
クジャはその言葉に答えず、ジタンが乗っている岩の上に乗り出さんばかりに体を寄せ、逃げ場を失ったジタンは目を白黒させて硬直してしまった。明らかにジタンの反応を楽しんでいるクジャを押し退ける気も起きずに固まるジタンが開放されたのは、二人の様子に首をかしげながらティナが戻って来た時である。
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・ティジタ
「―――っ」
まずい、と、尻尾の付け根に強い痛みを感じながら、ジタンは本能的に危険を察知した。
空から急降下していく最中に咄嗟に武器を仕舞い、両手で鼻と口を塞ぐ。そしてぐっと息を止めた瞬間、大きな水飛沫を上げて体は海中へと引き込まれていった。
ジタンが戦っていたのはティーダのイミテーションだった。複数体で現れた敵にバッツとスコールもそれぞれで受け持ち、一対一で戦っている最中だった。特に苦戦を強いられる事もなく、ジタンはイミテーションの武器を弾き落とす事に成功した。眼下の海中に落ちていくそれを視界の端で見送る。勝利は確実の物になる、はずだった。
その気の緩みで僅かな隙が生まれてしまったのだろう。丸腰になったティーダのイミテーションは体勢を変えるとジタンの尻尾を鷲掴みにし、その軽い体を強く引っ張りながら海へと向かって行ったのだ。
「おい、あれはまずいんじゃないか」
一部始終を見ていたバッツの表情に焦りの色が見える。それはスコールも同様で、二人は受け持っていたイミテーションを切り伏せると、ジタンが落ちていった海の方へと駆けて行った。
二人は砂浜で足を止め、海面の様子を見やる。ジタンが引き込まれた場所は何も無かったかのように波が揺れるだけで浮き上がって来る気配はない。
「……っ」
スコールは奥歯を噛み締めると、己のジャケットに手をかけた。時間が差し迫っている中、マントを身につけているバッツに機動性の期待はできない。バッツよりは身軽な服装の自分が潜ったほうが早いと判断したのだ。
しかしジャケットを脱ぐよりも先に、何者かの手がそれを止めるかのようにスコールの手の甲に一瞬重ねられる。
スコールはその人物が何者かを確認すると、ジャケットにかけていた手を下ろし、安堵の息を吐いた。
着水の瞬間に閉じていた瞼を開き、目に入ってきた水面の遠さにジタンは眉を寄せた。
すぐにでも浮き上がらないと息が持たないという事は、水に慣れていないジタンでも察しがつく。そう思っている間にもより深い所へ引っ張ろうとするイミテーションに蹴りを入れようとするが、それは難なく躱されてしまった。水を吸った衣類は重く、水の抵抗によりジタンの素早さは奪われている。
(くそ……っ)
これが他のイミテーションであれば切り抜けられる可能性もあったが、相手はよりにもよってティーダのイミテーションなのである。水中での戦いは得意だとは聞いていたが、確かに水の重みを感じさせない動きは、空中でのジタンのように身軽だ。
再度蹴りを入れようとした足を掴まれ、ジタンは青ざめる。武器で戦えないのであれば溺死させるつもりなのか。再び下へと引かれる感覚に抵抗する術もなく身を任せてしまいそうになっていると、海中の水が大きく揺れた。大きな魚が泳いできたのかと錯覚してしまうほどの速度でイミテーションにぶつかって行った大きな影は、人間の形をしている。その衝撃で足と尻尾から手が離れ、ジタンは何が起きたのか確認する余裕もなく水面へ上がろうとした。
しかし。
(だ、だめだ……)
手足を必死に動かし上に向かおうとするが、思うように体が浮き上がらない。水中はこんなにも動くことがままならないのか。遠い光に意識が朦朧とし、水を掻く手の動きが止まる。
その瞬間、何者かに突然肩を抱かれたかと思うと、ジタンの視界によく知った顔が飛び込んできた。
(ティ、……)
一瞬、先程のイミテーションかと身構えたが、柔らかく笑うその表情は体温をもつ本物のティーダのものだった。
ぐっと体を引き寄せられ、何事かと思う間もなく唇を重ねられる。そこから僅かに流し込まれてきた酸素をジタンが取り込むのを確認すると、ティーダはジタンの体を抱えて素早く水面へと上がっていった。
「―――はっ」
水の圧迫感から解放され、ジタンが大きく息を吸った。水中に引き摺り込まれてからさほど時間は経っていないはずだが、ジタンの体感では何時間も潜っていたように感じてしまう。
「大丈夫か?」
ジタンが必死に呼吸を整えている中、その体が沈まぬよう抱えながらティーダがジタンの背中をさする。その安定感に心底安堵しながら、疲れ果てたジタンはティーダの肩の上に顔を乗せた。
「た、助かった……」
「間に合って良かったっス。オレの泳ぎは溺れさせる為にあるんじゃないっつうの」
憤っている様子のティーダにジタンが苦笑する。肩越しに伝わる体温が、水で冷えた体に心地良い。
小さな波が肩にぶつかり、はねた水が頬にかかる。肩から下、空と水の境界線を越えるとあんなにも世界が違うものなのか。足先の冷たさに温度とは違う原因の寒気を覚えると、ジタンはティーダの肩にしがみ付いた。
「は、離すなよ」
「っス。ぜーったいに離さないから安心するっスよ」
そう言い、再びジタンの背を撫でると、ティーダはゆっくりと岸に向かって泳ぎ始めた。先程ジタンを助けに来た時の様子を思うともっと早く泳げるはずなのだが、溺れかけたジタンを気遣っているのか、極力顔に水がかからないように移動している様だった。
足元の水への恐怖は未だ抜けないが、しっかりと体を抱き込んでくる腕は水とは対照的にジタンに安心感を与えてくる。
やがて岸の近くまで辿り着くと、己の名を呼ぶバッツとスコールの声が聞こえてきた。
「ジタン、無事で安心したぜ……。今回ばかりは駄目かと思った」
ジタンを横抱きにしたティーダが砂浜へ上がると、表情を崩したバッツがそう声をかけながら駆け寄ってきた。戦いの間でもこんな顔は見たことがない。それほど心配させてしまったのだと、ジタンは塗れた尻尾を僅かに揺らして眉を下げた。バッツに続くように駆けてきたスコールも神妙な面持ちをしている。
「俺達では間に合わなかっただろうな……。ありがとう」
素直に感謝の言葉を口にするスコールに、ティーダは気恥ずかしそうに片足で足元の砂を掻いた。
「オレに似たヤツが悪さしてたら見逃せないって。それに、ジタンが水を飲まないようにしてくれてたみたいで助かったっス。飲んでたらオレでも助けられなかったかも」
「……っ」
水の中でもう駄目だと思った時に与えられた酸素の事を思い出し、ジタンは思わず二人から目を逸らしてしまう。あの時水を飲んでいたら上手く酸素を取り入れることができなかっただろう。ティーダはその事を言っているのだ。他意のある行為ではないにも関わらず恥ずかしさから俯いていると、それはティーダの首元に顔を預ける様な形になってしまった。それに気がついたティーダは子どものような笑顔を向けると、抱えているジタンに身を摺り寄せるかのようにして抱きしめる。
「ジタン、歩けそうにないのか? じゃあおれが……」
「あー、いいっス。オレが運ぶっス」
「え?」
ティーダはジタンに差し伸べようとしたバッツの手を躱すと、呆然とする二人の間を通って乾いた砂のある方向へと歩き出した。
「離すなって言われてっからさ」
「……いや言ったけどさ」
あの時は再び水に沈むのを怖れて口にした言葉なのだが、ティーダは都合よく解釈しているらしい。
彼に抱きこまれているのも今では恥ずかしくて顔に熱を持ってしまうのだが、抱えて離さない腕の強さは水の中にいた時と変わらない。
ティーダの肩越しに見えるのは、不思議そうな顔をしながら後を着いてくるバッツとスコールの姿。
ああ、後で何と言われてしまうんだろうとジタンは思いながら、上手く力の入らない身体の体重を逞しい腕に預けた。
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・バツジタ
「バッツ、ポーションあるか?」
ぱたぱたと軽い足音を立て、そう声をかけながらテントの幕を開けたのはジタンだった。
昼とはいえ薄暗いテントの中。外からの逆光に少しばかり視界がゆらいだが、入口を開けた手とは逆の腕にくっきりと痣ができているのを目ざとく見つける。
「怪我したのか?」
「ああ、大した事はないんだけど。念のため治療しろって言われてさ」
舐めとけば治るんだけどなとぼやくジタンに、バッツはその時の状況を容易に想像する事ができた。
仲間には人一倍気遣うのに対し、自身の事になると『大したことない』わけではない傷ですら隠し通してしまう少年だ。ジタンのそんな性格を分かっているスコールあたりにでも言われて来たのだろう。幸い、本当に大した事のない傷のようであったが。
「今はポーションを切らしててさ。すぐに薬を作るから待っててくれよ」
「作る?」
バッツに渡されたタオルを腕に当てながら、ジタンが首をかしげる。
揺れる尻尾を視界の端に入れながら、バッツは荷物の中から薬草を取り出すと、慣れた手つきで薬を調合し始めた。複数の薬草を目分量で混ぜ合わせる様子は一見大雑把に見えるが、分量は一寸の狂いもない。瞬く間に完成した傷薬に、ジタンは目を丸くした。
「できたぜ。付けてやるから腕を出してくれよ」
「お、おう」
言われるままに差し出されたジタンの腕の傷に、丁寧に薬を塗っていく。
傷の状態で薬の量を調整し、塗布の仕方から包帯の巻き方の全てが揃って最大限の効果を出すことができる。それは薬師としての能力だ。
「うわ、すぐに痛みが引いていった。お前どれだけ特技があるんだよ」
「おれも自分の凄さにびっくりしてる」
「はいはい……」
口調は軽いが、剣や魔法に留まらず、歌や踊りにまで長けていることをバッツ自身も不思議に思っているのだ。記憶に残っていなくとも体が覚えているということなのだろう。
「そうだ。他に何ができるのか色々試してみたんだけどさ、面白い発見があったんだ」
「ふうん?」
包帯が巻かれた腕を確かめるように回しながらジタンが相槌を打つ。その時、バッツから視線を逸らしていたジタンは、彼の口元が弧を描いたことに気付けなかった。
「あ・や・つ・る」
そうバッツが言葉を発するのと同時に、ジタンの動きがぴたりと止まる。
「―――?」
腕を上げたままの不自然な体勢で、困惑した色の視線だけがバッツに向けられる。
「なんか……動けないんだけど」
「だろうな。腕下ろしていいぜ」
バッツがそう言うなり、それまで微動だにしなかったジタンの腕がすっと下げられた。だがそれはジタンの意思によるものではない。バッツの言葉に体が勝手に反応したのである。
「……オレに何かしたろ」
「そう。ジタンは今、おれの命令なしじゃ動けなくなっているんだ。面白いだろ」
「さっき言ってた面白い発見って、これかぁ?」
体の自由が利かないまま呆れた声を出すジタンにバッツはくすりと笑うと、少し身を屈めてジタンとの距離を詰め、小柄な彼の視線の高さに合わせて顔を近付ける。唇が触れそうな程に距離を詰めてもジタンは目を見開くばかりで体を後退させたりはしなかった。正確には出来ないのだが。
バッツが近付いたのはその数秒だけで、すぐに身を引いて床に座り直した。その場にあぐらをかき、己の膝をぽんぽんと叩く。
「ジタン、ここに座っておれにちゅーして」
「……は?」
「だって、ジタンからしてくれること少ないし」
バッツはわざとらしく悲しむふりをするが、普段はジタンがしないのではなく、バッツから仕掛ける事が多い所為でジタンが動く余地がないだけだ。
「……うわっ」
ふらりと体を動かしたジタンが小さく声を上げた。本人の意思に反して動く体に戸惑いの表情を浮かべながら数歩進むと、バッツの前でぴたりと止まる。
そして足の力が抜け、腰を下ろした先はバッツの膝の上だった。バッツの膝に跨るような体勢に、ジタンの頬が僅かに赤くなる。
「か、体が勝手に……」
狼狽えるジタンの心境などお構いなしに手が動き、バッツの首の後ろへするりと回される。その指先でバッツの首筋を撫でる動きはやけに性的だ。
「表情までは操っていないんだけど、煽ってる?」
「う、うるさ……」
そこでジタンの言葉が途中で途切れた。ジタン自身からバッツに口付けたからである
「……っ」
ジタンが命令通りに動いたにも関わらずすぐに唇を離さないのは、バッツがそれを許していないからだ。せめてもの抵抗なのか、重なっているジタンの唇に力が入り、きつく閉じられる。会話の為に自由にさせていた口だったが、これでは面白くない。
「んん……っ?」
バッツがジタンの体の支配を少しばかり強めると、閉じられていた唇がゆっくりとほどけていった。それに驚いたジタンの尻尾の毛がふわりと逆立つ。
ジタンには口を開かせたが、バッツのほうはまだ閉じたままだった。ジタンの口から小さな舌がちろりと姿を現し、閉じられている唇の境目をなぞるように舐めていく。そして唇を食むように重ねられると、合わさった唇の体温が上がっていくのを感じた。勿論ジタンの体温が、である。
幾度となく口付けはしてきたが、こうしてジタンが強請るようなキスはしてきた事はない。よほど恥ずかしいのか、顔を上気させ小さな肩が震えている。
バッツは熱の籠った舌で唇をつつかれると、ようやく口に隙間を作った。すかさず差し込まれた舌に歯茎をなぞられ、くすぐったさと共に下半身に少しばかり己の欲がもたげるのを感じる。
(我慢、我慢……)
先の事を想像して昂ってしまいそうになるが、バッツは怪我人に無体を働くつもりはない。実際、怪我をしている腕には強い力が入らないようにコントロールしていた。
それでもこうも可愛く口付けをされ続けてしまうと耐えかねる所もあり、ここまで動かなかったバッツの舌が、口内のジタンの舌を絡めとった。
「ん……っ」
ぴちゃりと粘膜が絡む音が、静かなテントの中でやけに大きく聞こえる。ジタンの舌の裏を舐めれば、密着した体がびくりと震えた。
バッツが不安定になりそうなジタンの腰を支えてやると、それまで軽く背中に回されているだけだったジタンの手に力が入り、しがみつくようにして軽い体重を預けてくる。そして乱れてきた息を飲み込むようにぴったりと隙間なく唇を合わせた。
「ふ、ん……」
ジタンの口内に舌を入れようとするとすぐに押し返されてしまう。体格差からバッツがそれに負けることはないのだが、大人しくジタンの舌を味わうことにした。
やがて息苦しさからか尻尾が忙しなく動くようになったのを見て、漸くその唇を解放してやる。唾液が糸を引きながら離された口でジタンは息を吸い込むと、バッツの肩に額を乗せて息を整えた。
「ふう……」
上下するジタンの背を撫でてやると、気持ち良いのか甘えるように額を擦り付けられた。
「もう動けるだろ?」
「―――ん?」
こうしてバッツにもたれかかっているのも、尻尾が床を這うように動いているのも、今はジタンの意思によるものだ。バッツは途中からジタンにかけていた術を解いていたのである。
「い、いつから……?」
「さあ?」
何処からがジタン自身の意思による動きだったのかバッツには分かっているが、赤くしていた顔をさっと青くしたジタンの顔が面白くなり、はぐらかしてしまう。
「おっと」
ひゅっと空気を切った尻尾がバッツに叩きつけられる前に手で受け止めた。
「それにしても、良く効いてたな。弱いやつにしか効かないから普段は役に立たないんだけど」
「おい」
バッツの聞き捨てならない言葉にジタンが非難の声を上げる。それに対し、バッツは笑いながらジタンの尻尾を撫でた。
「ジタンが弱いんじゃなくてさ、術にかかり易くなるくらい油断してたって事だよ」
「う……」
それには否定ができないのか、ジタンが言葉を詰まらせる。そんなジタンの頭を撫でてやると、ジタンは諦めたのかバッツの胸に身を預けてきた。
(でもこれはしばらく封印かな)
操ったままその先の行為に及ぶ事には興味があるが、それをしてしまうとしばらくの間はジタンに警戒されてしまうだろう。
術をかけられたばかりだというのに、こうしてまた気を許してよりかかってくるジタンからの信頼と天秤にかけると、どちらを取るべきか考えるまでもなかった。
「別の方法を考えるか」
「……なんのだよ」
「ジタンが自分から可愛くお強請りしてくれる方法」
「…………」
ジタンはそれに対し何も答えなかったが、今度こそバッツの頭を尻尾で叩くことに成功した。
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