子どもになった9さんの小話
「もう今更なにも驚かないな……」
そうぼやくバッツにスコールは頷くと、目の前にいる子どもの大きな瞳が二人を見上げた。
野営地に戻る道中にアルティミシアのイミテーションに遭遇したのは先程のことだった。三対一での戦いで難なく撃破する事はできたが、最期に放たれた魔法が一番近くに居たジタンの体を包み込んだ。
その瞬間、バッツとスコールの視界からジタンの姿が消え二人は焦った。慌ててその場に駆け寄ると、魔法の衝撃で舞い上がった砂塵の中からジタンの衣服が現れた。
その中心でうごめく、金色の髪。
ジタン自身にはかすり傷ひとつなかったが、彼はすっかり小さくなっていたのである。
二人は小さくなったジタンを連れ、ひとまずテントへと戻った。服のサイズが合わず、ジタンが元々着ていた白いシャツのみを羽織っている状態だからである。
「まあ、女の子になることもあるなら、子どもに戻ることもあるよな」
至極冷静にバッツがそんな事を言った。過去にジタンの性別が変わるなどという珍妙な事件もあったのだ。その時とどちらがマシであるかなどと考える位には二人には気持ちに余裕があった。
大人しく抱えられていた小さなジタンを、バッツはテントの床に下ろす。ジタンは物珍しそうにテントの中をきょろきょろと見渡しながら、先に入って床に腰を下ろしていたスコールの元へと小走りに駆け寄っていった。
「……」
「…………」
無言の二人が見つめ合う。バッツはそんな光景を見て、笑いそうになる口元を押さえた。
「ジタン、意外と静かだよな」
「……そうだな」
事件現場から野営地に来るまでの間、ジタンは抵抗することもなくバッツに抱きかかえられていた。その間、一言も言葉を発していないのである。
それにはスコールも意外だった。あのジタンの幼少期など、子猿のようにちょこまかと駆け回っていそうなものだ。だが目の前の子どもはそのイメージとは対極にある。
そんな二人の会話をよそに、ジタンはスコールの顔を足元を交互に見やると、その膝の上に足を乗せて身を乗り出してきた。そしてスコールに背を向け、そのまま膝の上にちょこんと収まってしまう。とうとうバッツが耐え切れずに吹き出した。
「ふ、ふ……っ、もうスコールを乗りこなしてるじゃん。ちょうどいいからそのまま面倒みててくれよ」
「おい」
身動きが取れなくなったスコールを置いて、バッツがテントから出ていってしまった。残されたスコールは膝の上の小さな生き物に、ただため息をつくばかりである。
「………」
相手が恋人の幼少期とはいえ、かける言葉も見つからない。元々口数が多いほうではなく、普段の会話などはジタンが上手くリードしてくれているのだ。そのジタンが黙りこくってしまえば、二人の間にはただ沈黙が走るのみである。
ジタンはそんなスコールの様子を気にすることもなく、膝の上ですっかり寛いでいた。これは見慣れた光景で、普段からジタンはスコールを椅子だとでも思っているのかのように膝の上に収まっては、尻尾の毛繕いなどをしていた。この膝にはジタンの本能を刺激する何かがあるのかもしれない。
静かなテントの中、ぱたぱたとジタンの尻尾がスコールの膝を叩く軽い音が響き渡っていた。その尻尾も体と同じように細く小さくなっている。まるで仔猫のような尻尾だ。ふんだんに空気を含んだ毛並みは、子ども特有の柔らかさがあるのが視覚でも確認できる。
「……」
ふと、スコールはグローブを外した手を己の膝の上に乗せてみた。そこはジタンがしきりに尻尾で叩いている場所である。尻尾が上がった隙に手を差し込むと、すぐに落とされたそれが手のひらにふわりと乗せられた。
(……っ)
想像以上に柔らかな毛並みに、スコールは尻尾を握りそうになるのをぐっと堪えた。ジタンの尾はこれまでも触り心地が良かったが、ここまでの手触りは味わった事がない。もう片方の手で髪を撫でてみれば、その髪も記憶にあるよりもずっと艶やかだった。
頭を撫でられたことでジタンの尻尾の動きが止まり、そのままスコールの手の上に置かれる。スコールは子を驚かせないよう、尻尾の重心だけでその毛並みを噛み締めていると、ふいにジタンがスコールを見上げてきた。
「しっぽ、すきなの?」
それはジタンが子どもになってから初めて発せられた言葉である。突然のことにスコールはうろたえた。
「あ、ああ」
短くそう答えると、ジタンの口元に僅かな笑みが浮かぶ。普段、人をからかうように笑う彼とは打って変わったような儚げな微笑みだ。恋人とはいえ、子どもに対し不埒な感情を覚えることはないが、そんな顔をされてしまえば胸の奥に来るものがないはずがない。スコールは両腕でジタンの体をすっぽりと覆うと、小さな体を潰さないよう、抱きしめた。
「……」
それにジタンは少し驚いた様で、尻尾の毛がふわりと動く。
その尻尾がスコールの頬を撫でたかと思うと、髪と同じ金色の毛並みが、徐々に可愛らしいピンク色に変わっていった。
「……っ、トランスしたのか」
腕の中にいるのは、まるでピンク色の毛玉だ。その毛玉がスコールを振り返ると、小さな手を伸ばして抱きついてきた。ふわふわとした毛がシャツの胸元に当たってくすぐったい。
スコールがその体をそっと抱きとめると、細い尻尾がその手に巻きついてきた。肩の毛並みに顔を埋め、いつもより高い体温を感じる。
そうして抱き合っていたのはとても短い時間だ。しかしジタンに意識が集中してしまい、テントに入ってくる人の気配にはすぐに気付くことが出来なかった。
「……スコールくん」
低く重い声色で名を呼ばれ、スコールが我に返る。ジタンを抱えたままテントの入口へと視線を向けると、食料を手に持ったバッツが真顔で立っていた。
「いくら付き合ってるからってそれは……」
「違う、これは……っ」
スコールの行為に性的な感情はなかったが、傍から見れば裸の子どもと抱き合っているようにしか見えない。スコールが慌ててジタンから手を離すと、ジタンのトランスが解け、すっといつもの金髪に戻っていった。
僅かな時間の変化であったが、幼いジタンの体力を奪うには十分な時間だった様で、ジタンは疲れたようにスコールの胸に体を傾けていた。
「ジタン、この頃にはもうトランスできてたのか」
「さっきの? 時々……」
バッツがジタンの前に座り込み、小さな頭を撫でる。ジタンはそれに目を細めながら答えた。
「しっぽすきって言うから、ごはんとられた時のことを考えて怒ってみた」
つまりは、好きと言ってくれたスコールを喜ばせるためにトランスをしてみせたのだ。それにはスコールも驚いて目を見開く。
「ごはん……。大所帯のところに居たのかな。そりゃ腹立つよな」
怒るために想像した内容の可愛らしさと切実さにバッツが笑いながらジタンの髪をかき上げた。そして手に持っていた食事を、ジタンの前に差し出す。
「これは誰も取らないから安心していいぜ。椅子に座ってゆっくり食べろよ」
「誰が椅子だ」
疲れたジタンがずり落ちぬよう腕で支えるスコールは、どう見ても有能な座椅子である。
その後、幼いジタンがバッツとスコールの手で甲斐甲斐しく世話をされた期間はさほど長くはなかった。
しかし、スコールがジタンを膝に乗せる癖が抜けず、双方は翻弄されることになる。バッツだけがそれを見て笑っていた。
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ジタンが幼くなってからは一旦この地に留まり、外敵を警戒しつつ、幼子の面倒を見る日を送っていた。
ジタンの服はバッツが急拵えで繕っている。つくづく器用な男だとスコールはしみじみ思った。ジタンは聞き分けが良く、勝手に何処かへ行くこともなかった。今もスコールの目の前で地面にしゃがみ込み、地面を這う蟻を眺めている。
そんなジタンの簡素な服から覗く尻尾に枯葉が絡みついていた。子どもの柔らかな毛は物をひっかけやすいのか、こうしてすぐにゴミを付けてきてしまう。
「ジタン」
スコールがそう呼びかけると、ジタンは尻尾を立てて反応し、スコールの足元へと駆け寄ってきた。スコールはそんなジタンを抱き上げると、小さな体を膝の上に乗せる。ジタンが慣れた様子でその場に腰を下ろすのを確認すると、スコールは目の前で揺れる尻尾に付いているの枯れ葉を取り除いてやった。
そのまま尾に触れ、柔らかな毛並みに指を埋めていると、ジタンは何かを催促するような眼差しでスコールを見上げてきた。それが何を求めているのか察し、スコールは側に置いていたブラシを手に取る。
ジタンの尻尾の毛が絡まりそうになっていた時に、彼の私物のブラシを拝借し毛繕いを施した所、ジタンはそれをすっかり気に入ったらしい。こうして催促されてはブラッシングをしていた。
細くふわりとした毛が引っかからぬ様に丁寧にブラシを入れていると、バッツが「またやってる」と二人の様子を覗き込んだ。
「その時に癖になったと」
「……すまない」
スコールの膝の上に鎮座したジタンがバッツに事情を聞かされそうぼやくと、スコールはばつの悪そうに謝った。
あれから程なくしてジタンにかけられた魔法が解け、元の年齢に戻っていた。
事件はそのすぐ後に起きた。スコールが近くに居たジタンを突然持ち上げ、膝の上に乗せたのだ。
「──?」
普段、こうしてスコールが自らジタンを抱き上げるのは、恋人としての時間を過ごしている時くらいのものである。バッツの目の前でする事など皆無に等しい。あまりに自然な動きで抱き上げられてしまったジタンは状況が掴めず、一時固まってしまっていた。スコールも己のした事に気付き、すぐに我に返った。
ジタンに子どもに戻った時の記憶は残っておらず、この状況に陥った経緯をバッツに説明され、呆れた言葉とともに尻尾を揺らしていた。それでも退く気はないらしく、幼いジタンがそうしてきたようにスコールの胸に背中をもたれかからせる。
「スコールのやつ、ずっとジタンを膝に乗せてたからなぁ」
「ふうん」
覚えていないとはいえ少し気恥ずかしいのか、ジタンの尻尾が忙しなく動く。それがスコールの手に当たると、スコールはそれを手に取った。
太くしなやかな尻尾は手に馴染み、彼が元に戻ったのだと実感させられる。さらりとした手触りの毛はスコールが愛してやまないものだったが、同時に子どものふわふわとした毛との違いを感じてしまった。指を埋めるだけで毛が絡み、高い体温を分け与えるかのように温もりのあった毛並み。元の尻尾とどちらも捨てがたいが、子どもの尻尾にはもう触れられないのかと思うと名残惜しさがあり、スコールは小さくため息をついた。
それを聞き逃すジタンではない。
「おい。まさか子どものほうが良かったとか思ってないよな」
「そんな事は……」
ジタンが元に戻って安堵している気持ちに嘘はない。しかし尻尾を握る手に説得力はなく、ジタンはすっかり機嫌を損ねて尻尾の先でスコールの手を引っ叩いた。
「おーい、はやく仲直りしてくれよ」
スコールの膝に鎮座したまま小競り合い──ジタンが一方的に怒っているだけが──が始まり、バッツは痴話喧嘩に巻き込まれまいとその場から離れていった。
その後、どう収拾をつけたのかは定かではないが、変わらず膝の上に乗ったままむすくれているジタンの尻尾をスコールがブラッシングして機嫌を取っていた。状況の差はあれど、やっている事は子どものジタンの時と変わらないなとバッツはやや呆れたのである。
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