いかないで。



いかないで。




「いやだッ!!」
長い耳をピンと立て、鋭い声を上げたプラチナにジェイドはただただ苦笑する。
「絶対に、ダメだ!」
子供のわがままに困り果てた親の表情に似たそれに、プラチナは苛立ちながらも叫ぶ。
「でもね、プラチナ様。お仕事なんです。」
プラチナが家に来て以来初めて、一日家を空ける。その仕事内容は天使退治。
先程までジェイドの同僚であるサフィルスが家に来ていて、いつも通り隠れていたプラチナは立ち聞いてしまったのだ。命のかかった戦いに行くのだと。
サフィルスが帰った後、準備を整えたジェイドの前には目つきを鋭くした(それでも愛らしい)プラチナの姿。
「聞き分けてくださいよ、ね?プラチナ様。あなたに会う前からずっとやってきたことなんですから。ほら、しっかり生きているでしょう?」
まるで子供をあやしているような構図。優しく頭をなでてやっても、プラチナは一向に納得する気配を見せない。
「困りましたねぇ……。」
荷物の上にしっかりと陣取り、近づく者は許さぬと言わんばかりに威嚇をしてみせる小さなウサギ。もちろん力ずくで剥がすことはできるのだが、自分の身を案じてくれる大事な存在に対してそれをすることは憚られた。
「プラチナ様……。」
「イヤだ。」
取りつく島もない様子に苦笑しながら、ジェイドはソファに座り自分の膝の上を軽く叩いた。
「…………。」
プラチナは自分が死守している荷物とジェイドを見比べ、少し迷った後ジェイドの膝の上にあがる。
「心配、してくれるんですね…。」
プラチナの頭を抱き寄せてそっと囁くと、白い耳が微かに傾く。
「――――当たり前だろう。」
服の胸元にしがみついてくるウサギの頭をなでる。
「ありがとうございます。……でも、これが俺の仕事なんですよ。天使を討伐しないと、人々の生活が脅かされてしまうんです。」
「…………それでも…。」
言葉に詰まるプラチナの額に軽く口付け、ジェイドは優しい笑みを浮かべた。
「他の奴にやらせればいい、なんて言えませんよね。あなたは優しいから…。」
見上げてくる青い瞳は涙で潤んでいる。
「大丈夫ですよ、一日だけですから・・・、すぐに帰ってきます…。」
言葉を途中で止めてプラチナの耳元に唇を寄せる。
「あなたの元へ。」
ゆっくりと服から手を放したプラチナの頬に口付けて、ジェイドは家を出て行った。
「ジェイド……。」
ぽつりと呟く声は静かな室内に消えていった。

一日何も喉を通らなかった。朝食はジェイドと一緒にとったのだが、その後は不思議と空腹を感じることがない。せっかくジェイドが用意していった食事も全て無駄になってしまった。
「まだ、『明日』じゃないんだな……。」
にんじん枕を抱えてジェイドの部屋に侵入したプラチナは、枕を抱きしめてベッドの上にいた。
時計の針は夜中の11時を少し回った辺り。
「ジェイドぉ…。」
明かりを点けていない部屋に差し込む月明かりの中、プラチナはぽつりと呟く。
抱きしめたにんじん枕をベッドに叩き付けるとポフンという音がして、少し気が紛れるようでプラチナはしばらくの間それを繰り返していた。
「ジェイドの…。」
『あほう!!』と一際大きく振りかぶったプラチナだが、出掛ける直前にジェイドに言われた言葉を思い出して動きを止めた。
『あなたの元へ。』
優しい微笑が浮かぶ。
「ぅわ…ッ!!」
自分より大きな枕を持ち上げていたプラチナは、勢い良く振り上げた枕に引かれてベッドに倒れ込んだ。
「………ジェイド。」
先程までの、少々狂暴だったウサギはどこへ行ってしまったのか、急に寂しさの波に襲われてにんじん枕をぎゅぅっと抱きしめたプラチナは瞳を閉じた。眦から涙が一筋零れ落ちる。
「早く、帰ってこい…。あほう……。」
日付が変わるまであと数分となった頃、ベッドから小さな寝息が漏れ始めた。

「こんなところに…。」
自分のベッドの上で丸まっている白い物体にジェイドは笑みを零した。
にんじん枕を抱きしめて、ベッドの真ん中で眠っているプラチナは凶悪なほど愛らしい。
「寂しい思いさせちゃいましたね…。」
涙の跡を指でそっと辿り、その目元に口付ける。
「でもね、これでもがんばったんですよ。あなたの傍に帰るために・・・。」
ひっそりと呟きながら、ジェイドは白い頬をなでた。
二日はかかるであろう任務を一日で片付け、疲れた体を休める間もなく帰途についた。『すぐに帰る』という約束を果たすために・・・。
ところが、やっと帰り着いた屋敷はひっそりと静まり返っていて、しかも明かりが灯っていない。
以前のように一人で泣いているのではないかと心配しつつ屋敷に入ったジェイドだったのだが、今度はプラチナの姿が見えないことに焦りを感じた。
プラチナの部屋、一階の広間、中庭、書庫。疲れすら忘れて探し回った挙句辿り着いたのは自分の部屋だった。
ここにいなければ、プラチナはこの屋敷内にいないということになる。
その不在を考えて酷い不安感に苛まれながら、ジェイドは最後の扉を開いた。
そして目に飛び込んできたのは、ベッドに丸まっている愛しい生き物。余程寂しかったのか、その目元は涙に濡れていた。
「そんなに不安がらないでくださいね。俺は絶対にあなたから離れたりしませんから・・・。」
ジェイドはマントを近くの椅子にかけ、静かにベッドに上がった。
「何もかけずに寝たら風邪ひいちゃいますよ。」
プラチナの体を揺らさぬように自分の方へ引き寄せ、抱き込むようにして横たわる。
「今朝はあんな大人びたこと言ってましたけどね、嬉しかったんですよ?」
『当然のこと』だった天使との戦いに赴く自分に、「危ないから行かせたくない!」と取り縋ったプラチナの必死な姿を思い浮かべる。
「心配してくれる相手がいるっていうのは、幸せなことですね・・・。」
プラチナの額に、頬に口付けを降らせてジェイドもまた目を閉じた。


朝起きて、仔ウサギは幸せそうに笑う

彼が約束を守ってくれたことが嬉しくて

無事に帰ってきたことが嬉しくて・・・・・・


『おかえり、ジェイド。』
目覚を開けたジェイドに、満面の笑顔を浮かべて・・・。



〜fin〜