エーテルの体温
火が灯った暖房器具により、雪の吹き荒ぶこの地の中でも室内は暖かな温度に保たれている。
赤い炎は見慣れたもので、焚き火や料理に当たり前のように使っていたが、此処ではそれは恵まれた環境に身を置いているが故の感覚であると思い知らされいた。青い炎が失われつつあったこの地では命に関わるほどに貴重なものだ。それもラピス・マナリスで発見した青燐水のおかげで、今後は改善していくのかもしれない。
アルフィノとアリゼーはテルティウム駅に留まり、他の面々もラザハンに戻ろうという話になり、その前にキャンプ・ブロークングラスで一度休憩を取る事となった。第一世界に居た頃からだろうか、何かと休息を勧められる事が増え、今も気が休まるよう配慮されたのか、小屋の中には他に人はいない。大きな戦いがあった後のがらんとした室内は、静寂をいっそう強く感じた。
そんな部屋の中でひとつため息をつくと、着いて来ていたゼロを部屋の中に招き入れた。
「ゼロもこっちで休もう」
「別に、疲れてはいないが」
「またそんな事言って……」
呆れたようにそう言えば、彼女は顔を隠すように帽子の縁に触れた。それが心に揺らぎがある時に出る癖なのだと気付く位には共に過ごした時間は短くはない。
部屋には簡素なクッションしかなかったが、それを叩いて座るように促すと、ゼロは素直にそれに従った。
部屋に自分達しか居ないことで隠す必要のなくなった魔法を使い、ストーブの火の力を少しだけ強くする。そして雪の付いていた服を脱ぎ、火の近くに置いた。
「ゼロも脱いで。それ着たままだと却って体が冷えるから」
「寒さなど……」
半妖ゆえ寒暖差による耐性が人とは違う事は、ガレマルドに来た時から分かってはいた。しかしそれでも気になってゼロの帽子へと手を伸ばす。次いでマントの止め具に指をかけると、彼女は小さく息をついただけで抵抗はしなかった。
次第に現れる素肌には傷はなく滑らかで、これまでも数多の戦闘を経験してきただろう戦士のものとは思えないほどだ。これも妖異の回復力からくるものだろうか。
ゼロの衣服を同じように火の側に広げ、再び彼女の側へと歩み寄る。互いに裸に近い状態となり、そっと触れた彼女の肩の冷たさがより強く感じた。やはり、と尻尾を揺らす。
「すごく冷えてる」
体温低下がゼロにどんな影響を与えるのか、自分には理解の範疇を超えている。彼女が平気だと言うのならこれ以上は口を出すべきではないのかもしれない。
雪の中、敵を前に倒れていたゼロの姿を思い出す。
くっと眉間に皺を寄せ、ゼロの剥き出しの肩に額を当てると、揺らしていた尻尾を彼女の腕にゆるく巻きつけた。
「……お前の体温が高いだけじゃないのか」
「ふふ、種族柄そうかもね」
尻尾から伝わる体温を感じ取ってくれたのだろう。柔らかな毛で覆われた尾は冷えた大地でも変わらず温かい。己の体温を分け与えるようにゼロの体を抱きしめると、背中に冷たい手が触れてきた。もし他人に見られたら、二人の体格差から、一見ゼロのほうが抱きしめているように見えることだろう。
「エーテル」
「……?」
ゼロの体温以上に気になっていたもの。彼女の保持するエーテルの消費量だ。妖異との戦いからのラピス・マナリスへの連戦でそれが気になっていた。
「私はヴリトラほどじゃないけど、そこそこ良いもの持ってると思う」
「ああ……」
己の言いたい事を察したゼロが納得したような声を返す。その冷静な声色に少し気恥ずかしさを感じ、思わず耳を伏せた。
「ごめんね、ただの自己満足なんだけど……。何かを守って、倒れてる所を見ると」
此処とは違う寒空の元、着の身着のまま身を寄せた先で、温かな飲み物を差し出してくれた青年の姿が脳裏をよぎる。
そして抱き上げた膝の上で、失われていく体温も。
「エーテルを食えば、お前は安心するのか」
「……そうだね、そうかもしれない」
己の生命力が彼女の糧となるならば、彼女が『生きて』いることがより強く感じる事がきできるのかもしれない。
ゼロにとってはエーテルを得る機会にはなるが、さすがに押し付けがましいだろうか。そう急に不安になり、彼女の手に巻きつけていた尻尾がするりと床に落ちた。
「なら、頂く」
「え?」
尻尾から解放された手が、頬に触れてくる。
そして柔らかな皮膚が唇に触れる感触に目を見開いた。
「え、え……?」
エーテルを吸われる感覚が走るのと同時に、それはすぐに離れていく。
「ラザハンでこうしてエーテルを交換している奴を見たんだが、間違ってるのか?」
「あ、ある意味間違ってはいないけど……」
一人顔を赤くしてうろたえるが、ゼロはいつも通り涼しい顔をしている。
「妙に濃いな、お前のエーテルは」
「……エーテル学には詳しくないけど、その時の心境で左右されるのかもね……」
食べ物を咀嚼するようにエーテルを味わわれると、口付けされた時以上の羞恥を感じてしまう。自分から与えておきながら、だ。
しかし、ヤ・シュトラのようにエーテルを感じる事はできなくとも、己のエーテルがゼロの中に取り込まれていった事は確認できた。それによって気分が落ち着いたのか、こうしてゼロに抱きついている状態も恥ずかしくなってくる。
そうして離れるタイミングを失いながら尻尾を揺らしていると、背中に添えられていた手に力が入り、胸と胸が押し付けられるほどに密着された。
「さっきより体温が上がっている。具合が悪いのか?」
別の意味で体調が変化しそうだが、上手く説明できぬままゼロの肩に顔を埋める事となる。
そうしている間に彼女の冷たい体は、正常な体温にまで戻っていった。
それを肌で感じとり、ほっとしつつ、エーテルの摂取方法について後で釘を刺さなければと、ぼんやりと思った。
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