アサト×トキノ

全てが終わり、全てが始まったあの日から。
世界を揺るがせた鍵尻尾の賛牙は、白銀の闘牙とともに祇沙中をかけまわる賞金稼ぎとなっていた。
情報を得るために藍閃に訪れることは多い。しかし、タイミングがずれれば会えることは滅多にない。
今回もすれ違ったらしい。あの闘牙のことはどうでもいいが、鍵尻尾の賛牙のことはいつも気にかかる。
すっかり常連となっている宿の主に手紙を託し、アサトはまた旅に出るための準備を始めた。
買い出しといっても行く所は1つしかないのだが。


「あ、アサトさんいらっしゃい!」
ひょこっと屋根から顔を出すアサトにトキノが笑いかける。コノエの呪いにも動じなかった猫だ。今さら屋根からの訪問者に驚くはずもない。
アサトはまわりに猫がいないのを確認して地面へと降りる。様々な場所へと旅をしているものの、今だに猫の多い街には慣れない。
そんな中でも、初めて藍閃に来た時に顔見知りになったコノエの親友―トキノは唯一普通に接しられる相手だ。他の行商猫だとどうしても緊張してしまうのだ。
「また旅に出るんですか?」
「ああ、今度は北に行ってみようと思う」
「そろそろ暑くなってくるから、涼しくて丁度良いですね」
トキノが言いながら、慣れた手つきで品物を袋に入れていく。保存のきく干し肉や乾燥クィム、薬草が主だ。アサトはいつも同じものを買っていくので、もう言われなくても必要な物がわかっているのだ。
「はい、どうぞ。ちょっとオマケしておきましたから」
「いつも、すまない」
「いえいえ、お得意様ですから。そのかわり、旅先で面白いものを見つけたら教えてくださいね」
「わかった」
一匹での旅は、寂しいといえば嘘になる。しかし、時々見ることのできるトキノの屈託のない笑顔はアサトを癒した。
そういえばと、アサトは自分の荷物袋を漁り始めた。

中から出てきたのは小振りな花。

藍閃に来る途中に、あの花畑に寄って摘んできたものだ。
一輪はコノエへの手紙とともにバルドに預けてきた。
もう一輪は。

「おまえに、やる」
「花?いいんですか?」
「お礼だ」
さすがに雄に花を贈られたことのないトキノは少し照れたようにその花を受け取った。甘い香りがあたりに漂う。
「ありがとうございます。コノエに聞いてますよ、アサトさんが摘んでくる花はいい香りで枯れにくいって」
「コノエが…」
自分の知らない所でコノエがそういうことを言ってくれているのかと思うと、嬉しさに尻尾がぴんと立つ。


「もう行くんですか?」
トキノとしばらく他愛のない話をしていたアサトが荷物袋を持って扉の前に立つ。
「ああ、暗くなる前に発ちたい」
「そうですか…」


トキノが商売用ではない、万遍の笑みをうかべる。


「いってらっしゃい!アサトさん」
「――――ああ、行ってくる」



藍閃は猫が多くて苦手だ。
でもここにはバルドがいて、コノエ(とついでにあいつも)に会える場所で、トキノがいて。
苦手だけどとても大切な場所だ。



アサトは屋根を伝いながら、次はいつ頃戻ってこようかと、荷物を抱えなおした。