01 ; Lullaby(こもりうた)

光の旋律が空を舞う。
その光を一身に受けたライは、無駄の無い動きで賞金首である獲物に剣を突き立てた。
その魔物は周辺の村猫を脅かし、様々な闘牙達が戦いを挑んでは敗れていった。しかし、“最強のつがい”の相手ではなかった。
ライの強さは疑うまでもない。つがいの賛牙の歌がよりライの勝利を確信させるものだと信じている。それがより大きな力となって闘牙へと降り注でいく。

闘牙を想う心。

歌う最中にそれが揺らぐと、その効果にどんな影響があるのか分からない。常であれば効果が薄まる程度で済む、はずだった。
コノエの歌に突然揺らぎができた。ライが魔物の血を浴びてしまったのだ。
僅かに赤く染まる白銀に、コノエが動揺する。ライは片目を抑え、苦しそうに応戦していた。
駆け寄りたいのを必死に堪え、コノエは歌い続ける。いま歌をやめてしまえば、ライが魔物の爪の餌食になってしまうからだ。

かつて2匹でリークスに立ち向かった時。
リークスは過去をやり直したくはないか、とライを誘惑した。
ライはそれを断った。コノエはそれが辛くも嬉しかった。自分と共にあることを選んでくれたから。

しかし、ライが自分の闇に苦しむのを見る度、本当にそれでよかったのかと思ってしまう。過去をやり直せていたら、ライはこんなに苦しまずに済んだのではなかと思わずにいられない。
そんな事をライに伝えれば「馬鹿馬鹿しい」と一言で片付けられてしまうのだろう。

ライはフラついてはいたが、なんとか自我は保っていた。しかし隙ができてしまい、手負いの魔物は逃げ出してしまった。コノエはそれを追う事はせずに、姿が見えなくなるまで歌い続けた。いつ魔物が方向を変えるかわからないからだ。
やがて魔物の気配が完全に消えた頃に、コノエは歌うのを止めた。そして急いでライの元へと駆け寄る。
ライはすでに苦しんでおらず、冷静を取り戻していた。ただ一つの異常を除いては、何事もなかった。
そのただ一つの“異常”。


ライは、小さな仔猫の姿に身を変えてしまっていたのだ。




「確かにコイツは、ライだなあ…」
小さなライを抱え駆け込んだのは、馴染みの宿屋。ライの仔猫時代を知っているバルドにそう言われては間違いはないのだろう。コノエは耳をぺったりと伏せた。
「なんか、心当たりとかないのか?」
「って、言っても…。いつの間にかこうなってたんだよ」
そう言い、コノエは自分の横に座り果実水を舐めている小さいライを見やった。見知らぬ猫に抱えられここに連れられてきた時は少し怯えた様子でいたが、バルドを見て安心したらしい。今では落ち着いて喉を潤している。
コノエの視線に気付いたのか、ライがおずおずとコノエを見上げる。バルドに「友達だ」と紹介されているので警戒心はもうなかった。視線が合うとニコリと微笑まれ、優しくされる事に慣れてないライは顔を赤くして、果実水を握る手に視線を落とした。落ち着かないように揺れる、ふさふさの小さな尻尾。
そのあまりの可愛らしさに、コノエは思わずライを抱きしめてしまう。
「ライ…っ」
「……っ!?」
突然のことに驚き、逆立ってツンツンになる白い尻尾。
しかし抵抗することはなく、やや緊張した面持ちで体を預けてくる仔猫に愛しさがこみ上げる。
そして気がついた。もしかしたら、このまま育てていったら。血に飢えることのないよう、愛情を与え、甘やかして育てれば、もう心の闇に蝕まれることもないのではないかと。
決意したコノエの行動は早かった。
「バルド」
小さなライからすっと体を離し、真面目な顔をしてバルドへと向き合う。バルドは「ん?」と耳をコノエの方へと向けた。
「俺が、ライを育てたい」
そう言い切ったコノエに、バルドが自分の伸ばしっぱなしの髪をぐしゃぐしゃといじる。コノエがこう言うだろうということは、想定内であった。
「アンタならそう言うと思ったけどな…。そんなに簡単なもんじゃないぞ、仔猫は」
「わかってる。だけど俺に任せて欲しいんだ。俺が、育てたいんだ」
意思の強い目がバルドを真っ直ぐに見つめる。こういう時のコノエは言い出したら引かないということは、バルドもよくわかっていた。
「ああ…、わかったわかった。どうせライがそんな状態じゃ賞金稼ぎの仕事は休みだろう。部屋なら好きに使っても良いぞ」
「それなんだけど…」
部屋の鍵を取りに行こうとするバルドをコノエは引き止めた。
「火楼に、行こうと思うんだ」
火楼はコノエの故郷であり、いつかの冬に…滅んでしまった村だ。
それを知らないバルドではない。驚いたようにコノエを見やる。
「藍閃は猫が多すぎるし同業者もいっぱいいるから、ライにどんな影響があるかわからないし…。火楼には俺の家もある。自然が多い所で、ライを育ててやりたいんだ」
「…そうか。まあ、お前さんに任せれば間違いはないだろうが…。困ったことがあったら、いつでも頼ってこい」
「…ありがとう」
コノエがライの小さな手を握る。そして椅子に座るライの前にしゃがみ込み、視線を合わせた。
「ライ、これから火楼に行こう」
「かろう?お兄さんと…?」
出会ったばかりの猫にそんな事を言われ、ライは戸惑った。バルドを見ると黙って頷かれる。
「でも、父さんが…」
「ああ、大丈夫だ。許可は出てるからな」
耳をぺったりと伏せ震える仔猫に、コノエの胸が痛む。

ライの記憶の中のこの仔猫を、何度救いたいと思ったことか。

それが今叶うかもしれない。戸惑いながらもコノエの手を取るライに、コノエのほうが泣きそうになってしまった。





久方ぶりに訪れた火楼は静まり返っていた。
かつて失躯により滅びてしまった故郷だが、今ではその凄惨な面影はなくなり、自然と村の家々が共存している空間となっていた。
コノエはライを自分の家へと案内する。いつだったか、ライに頼んでこの家に訪れたことがある。もう帰るつもりのない家だったが、虚ろの名残を残すのは気が引け、簡単にではあるが修繕をしていったのだ。
多少の埃っぽさはあるものの、猫2匹が住むには十分であった。
コノエは荷物を整理し、暗くなった部屋を道しるべの葉の光で照らす。そしてきょろきょろとしているライに毛布を手渡した。
「もう遅いし、歩き疲れただろ?今日はもう寝よう」
「う、うん…」
ライは毛布をかぶり横になる。コノエもそれに続き、ライの隣へと寝そべった。

それから数刻。
静かな家に、外の虫の鳴き声が耳に響く。
ライは落ち着けず、何度か寝返りを打った。白い耳が些細な音を拾っては、ふるふると揺れる。
「……眠れないか?」
静かにかけられた声に、ライの肩がびくりと震えた。
「歌ってやろうか?」
「うた…?」
眠れない子供には子守唄を。
しかし歌と言われてもいまいちピンときていない様子のライに、コノエの顔が曇る。きっと母猫に子守唄を歌ってもらったことなどなかったのだろう。
コノエは息を吸い、優しいメロディを舌に乗せた。
同時に賛牙の歌も発動させ、小さな家の中は、淡く優しい光に包まれる。
眠るには少しばかり眩しいであろうその光は、不思議と目に響かなかった。

ライが穏やかな眠りにいざなわれるように。優しい夢が見れますようにと。

幼い闘牙を想う歌がライを包み込む。
それはライにとって、今までに感じた事のない感覚であった。
己を強く想う心が、身体に浸透していく。
こんなにも誰かに想われるのは初めてで。
ライは光の流れに身を任せるように瞳を閉じた。


眠りに落ちる瞬間、一粒の涙が仔猫の頬を濡らす。
それは当の仔猫も、仔猫に寄り添う賛牙も気付くことはなかった。







火楼に住を構え、数日が過ぎた。
娯楽が全くない村。ライが退屈するのではないかとコノエは心配していたが、仔猫にとって自然豊かな土地はそれだけで恰好の遊び場になるらしい。虫を追いかけ、木に登り、そこに実る果実に目を輝かせる。
仔猫らしくはしゃぐ姿をコノエは目を細めて見守っていた。
夜には、仔猫がコノエに子守唄をせがむ。コノエに抱きしめられ、優しい光に包まれ、ライは一度も悪夢に魘されることはなかった。
このまま育っていけば、ライの心に闇は住み着かないのではないか。コノエはそう思っていた。



特殊な状況下のためか、ライの成長は早かった。
当初4、5歳ほどの仔猫であったが、数週間もしないうちに10歳ほどに成長していた。



ある日ライはコノエの目を盗み、家からこっそりとナイフを持ち出していた。
向かうは森の中。
普段、狩りはコノエが担当している。ライは果物を摘む役割で、狩りの同行を申し出たこともあったのだが、それは聞き入れられることはなかった。
(おれだって、もう仔猫じゃないんだ)
狩り以外でもコノエはライに刃物を持たせようとはしなかった。唯一渡されたのは剣技の訓練の為の木刀のみであった。
自分が仔猫だから。そう思ったライは、一匹で狩りをして獲物を仕留めることができれば一人前だと認めてもらえる。そう思い森の中を駆け抜けていった。
場所を決め、簡単な罠を作る。そして少し離れた茂みの中へ身を潜ませた。
息を殺し、罠のある場所を見つめる。間もなく何かが罠にかかった音がした。
「やった…!」
ライは茂みから飛び出し、罠のある場所へと駆け寄る。そこには罠に足をとられたウサギが一羽。
ライはそのウサギを押さえつけナイフを構える。
愛らしいウサギに凶器を向けることに躊躇しなかったわけではない。しかしいつも自分に肉を食べさせるためにコノエがしてくれている事だと意を決し、ライはウサギの目を見ないように、首を目がけてナイフを振り下ろした。
その瞬間に吹き出した夥しい血にライが目を張る。
手や顔を汚す、赤い液体。
ライは事切れたウサギから手を離し、血に染まった手を見やった。
何故だか嫌悪も恐怖も感じなかった。先程まで生きていた獣から出てくる液体の生暖かさばかりが、手の感覚を刺激する。

「…は、あはは…」



あ た た か い 。



ライは再び獲物に手を伸ばすと、再度ナイフを突き立てた。飛び散る血がライの色白な頬を汚し、白銀を赤く染め上げる。
どれだけそうしていただろうか。
ライは笑いながら幾度目かのナイフを振り下ろそうとした。しかしその手は悲痛な声により遮られる事になる。
「ライ……!!!」
ナイフが音を立てて地面に滑り落ちる。じん…と痺れる手を見ると、ナイフを叩き落としたコノエが眉を寄せて立っていた。よほど急いでいたのか、肩が忙しなく上下に揺れていた。
「……」
ナイフを奪われたライは尚もウサギに手を伸ばそうとする。コノエはその手を掴み、血で汚れるのも構わずにライをきつく抱きしめた。
「ライ、もういい。もういいから…」
コノエがライを呼ぶが何の反応も返ってこない。ライが心の虚ろに呑まれるのは、この姿になって初めてであった。
光を宿さない幼い瞳に、コノエが涙を溢れさせる。こうなる事を恐れ、ライに刃物は持たせなかった。しかし穏やかに育つ姿に油断していたのも事実で、家からナイフが消えている事に気付いた時には気が気でなく、森中を駆け回った。
やがて見つけた、血に染まる白い仔猫。
「ライ…」
血で汚れた頬を拭い、戻って来いと賛牙の歌をうたう。
いつも自分を守ってくれている光と、頬にぽたぽたと落ちる温かい液体に、ライの目に徐々に光が戻っていく。
「コノエ…?」
気がつくと視界にはコノエの泣き顔があって、ライは慌てた。どうしたのかと聞く前に、その身体は再度きつく抱きしめられる。

コノエの肩越しに見える、すでに慣れ親しんだ森の風景。
抱きしめてくる温かい体に自分の帰る場所はここなのだと、ライはコノエを抱きしめ返した。







その後ライはまた穏やかな時間を過ごし、背もぐんと伸びていった。
まだ14、15歳ほどであろう。しかし大型種らしい成長ぶりに、コノエが不満気にライを見上げる。ライの身長はコノエをとうに追い抜いていた。

剣の訓練の時も、これまではコノエの素早さと剣技に圧倒されていたが、力押しで1本取ることが増えてきた。
尻もちをついて「負けた負けた」と笑うコノエを起こしてやろうと手を取ると、その手は思いのほか小さく、体重も軽く感じた。
「ライの顔、よく見せてくれよ」と顔を覗き込まれることも多かった。何が嬉しいのか、愛おしげに右瞼を撫でてくる、優しい手。「やっぱり右目も綺麗なんだな」とライにはわからない事を言う時の笑顔に、いたたまれない気持ちになる。
凭れ掛かってくるコノエを支える腕。
抱きしめられていた時期は過ぎ、この体格差では自分が抱きしめる側になっている。

ライは思春期を迎えていた。






「ライ、歌ってやろうか?」
いつもと変わらぬ夜の、変わらない習慣。
「…ああ」
短くそう答えるとコノエは嬉しそうに笑い、子守唄を歌い始めた。幼い頃から変わらない歌。歌の種類はいくつかあったが、ライはこの歌が一番好きだった。
同時に賛牙の歌も身に受ける。ライだけを想う優しい光。
幼い頃は、自分をこんなにも愛してくれているのだと感じられて嬉しかった。
それが今はどうだろう。
コノエの歌は、以前と変わらぬ愛の籠ったものだった。幼い仔猫の幸せを祈り、護る歌。

だけど

(俺が欲しいのは、こんな歌じゃない…)

何故そう思ってしまうのか。
ライは気付かないフリをした。




ギィン、と鉄がぶつかり合う音がする。
「……っ」
手が痺れたコノエは思わず剣を落としてしまった。
成長が早いとはいえ、ライの剣の上達ぶりには目を見張るものがあった。ライに教えられた剣を、またライに教えるなんて、とコノエが苦笑する。
「大丈夫か」
「ああ、平気だよ」
手の心配をしてくるライにコノエは笑顔でそう返す。
その笑顔を見たライが僅かに眉間に皺を寄せた。
「どうした?」
「………」
ライは何も言わない。黙ってコノエの腕を握る手に力を込めた。
「ライ…」
目線の位置は変わっても心配そうに見つめてくる姿は変わらない。変わらないことが、今のライにとっての苦悩であった。
「…、コノエ」
握った腕を引き、自分より小さい身体を抱きしめる。コノエは一瞬驚いたようだったが、すぐにライに体重をかけ、されるがままになった。
「コノ…」
「ライ」
ライの言葉を遮るように、コノエがライを呼ぶ。
「俺はライが好きだよ。何より大事だ」
それは幼い頃から言われていた言葉。しかし腕の中から見上げてくるコノエの表情はそれまでと違っていた。
恋い焦がれる猫を、見るような。
「俺があげられるものは、みんなアンタにあげたいと思ってる。…でも、まだライは仔猫だから」
だからまだダメだと言うコノエは成猫らしい落ち着きを見せていて。
「…いつまでも仔猫だと思っていたら大間違いだ」
「そうだな。身体だけはこんなに大きいもんな」
そう言われふてくされるライの頬に、コノエは背伸びをしてキスを落とした。



その時だった。
木の倒れる音に、コノエとライが振り返る。すぐ其処の木々の向こう。何か巨大な生物がこちらへ向かってくるのを感じた。
二匹はすぐに臨戦態勢に入る。今まで魔物の気配など感じなかった森の中。
やがて木々を掻き分け姿を現したのは、以前ライとコノエが討ち損じた魔物であった。
自分を傷つけたつがいを覚えていたのだろう。魔物は怒りも露に猛烈な勢いで突進をしてくる。
二匹は左右に別れ、その攻撃を躱す。二手に別れたが、魔物は自分に剣を埋め込んだ猫ーライーに狙いを定めていた。
(まずい…っ)
自分に背を向けライの方へと方向転換する魔物に、コノエは焦った。
“最強のつがい”にとって、この魔物は取るに足らない存在であった。以前の二匹であれば、だ。
いま魔物と対峙しているライは、実戦経験のない、駆け出しの剣士。決して弱いわけではないが、すでに魔物と一戦を交えているコノエには今のライでは敵わないとすぐにわかってしまった。
「くそ…っ」
この距離では間に合わない。
コノエは剣をおろし、神経を集中させた。
ふわりとその身から放たれる光。
闘いの詩だ。
今までのふわふわとした物とは違う、鋭い光。その光は矢のように離れた場所にいるライへと降り注いだ。
「……っ」
力を増幅させたライは、剣で魔物の爪を弾く。すぐに切り掛かろうとするが魔物の動きも早く、防戦を強いられていた。
(俺のせいだ……っ)
魔物の爪がライを翳める度にコノエは顔を青くする。
同業者がライの隙を狙ってやってくることは想像していた。だからこそ、猫が近寄らない火楼へと向かった。しかしこの魔物の存在は想定外であった。

ライが小さくなった時に、すぐに呪術師の元へ行くなりすれば。すぐに元に戻してさえいれば、こんな危険な状況にはならなかった。

(俺の、我侭のせいで)
コノエは目をぎゅっと閉じた。
死なないで、生きて、どうか。俺はどうなってもいいから。
想いを乗せ、光はより強大になっていく。強すぎる力に、コノエの足がふらついた。
やがて地面に膝をついてしまうが、歌う事はやめない。もっと、ライに力を。そう願おうとした時。
「馬鹿猫、その歌は歌うな…!!」
懐かしい罵声に、コノエは我に返った。
「ライ…?」
光の先に見える闘牙の姿。やや背が伸び、右目に傷跡がある。いつの間にか形勢逆転していたのか、両手に握られる剣によって魔物が翻弄されていた。
「ライ…!!」
「ぼさっとするな、ちゃんと歌え!」
「…ああ!」
コノエは再度神経を集中させる。その身から放たれる歌は、先程の歌い手の命を削るような歌ではない。
闘牙の勝利を信じ、共に闘おうとする歌。

ほどなくして魔物の断末魔が森に響き渡っていった。






「…どういうことだ」
「…俺もよくわからないんだけど」
とりあえず火楼に戻ったコノエは、ライの詰問にあっていた。
ライが仔猫になってしまった時も、元の姿に戻った時も、ライは賛牙の歌をその身に受けていた。
おそらく『ライの過去をやり直したい』という気持ちが入り交じった歌によりライは仔猫になり、『ライを死なせたくない』という気持ちが元の姿に戻した、ということなのだろう。
賛牙の歌にそんな効果があるとは聞いた事が無い。コノエの中に眠るリークスの魔力の影響も考えられた。
不機嫌も露にしている己のつがいに、自分の歌が原因では言い返すこともできず、コノエは耳も尻尾も伏せ縮こまっていた。
そんな姿にライはこれ以上怒る気が削がれたのか、大きな溜め息をついてコノエを抱き寄せた。
「俺は今を生きると決めた。…それを疑うな、馬鹿猫」
「……わかった」
コノエは目に涙を浮かべ、ライの背に手を回す。
その大きな背中に愛しさがこみ上げた。




その日の夜は火楼で過ごし、藍閃へは朝向かうことになった。
「もう寝るか?」
「ああ…無駄に疲れたからな」
ライの呆れた声が返ってくる。今はそれが嬉しかった。
「子守唄歌ってやろうか?」
そして気が緩んだせいで出てきてしまった、その言葉。それは幼いライにいつも言っていた言葉だった。
「…………」
「…………あ」
苦虫を噛み潰したような顔に、コノエがしまったと口を押さえるが、後の祭り。
「では、せいぜい鳴いてもらうとするか。…ぜんぶ俺にくれるんだったな?」
「あ、いや…」
言い訳をしようとする唇を塞がれ、コノエの耳が小刻みに震える。
記憶が残っていたらしいライはコノエにじらされていた事も覚えていたらしい。
とうに思春期を終えたはずの猫に、コノエは散々鳴かされることとなった。