家族サービス

呪われた猫の唄をその身に浴び、育ての親である虎猫と背を合わせ、世界を混沌へと堕とそうとした魔術師を打ち破ってからどれだけの月日が流れたのか。
ライはいつもより少しだけ伸びた白銀を揺らしながら、馴染みの宿へと向かった。
扉を開けると、ちょうど2階から降りてきた鍵尻尾の子猫と鉢合わせた。コノエはライに気付き、万遍の笑みで
「おかえり、ライ」
と言った。
コノエが宿を手伝い始めた頃は「いらっしゃい」だった。
しかしそれは間もなく「おかえり」へと変わっていった。
ニヤつく虎の顔が思い浮かぶので口にこそ出さないが、帰る家ができた様で、悪い気はしなかった。


夕飯時の食堂の喧噪が治まった頃、ライは食堂へと赴いた。コノエも勝手知ったもので、手際よくライの元へと程よく冷めた料理を運んでくる。ライがバルドの料理を口にするようになったのは最近のことだ。
黙々と食べ始めるライに微笑んで、すぐに仕事に戻る。それが常だった。
しかし今日は、料理を運ぶために使ったお盆を手に持ったまま、その場を離れようとしなかった。にこにこと微笑んでライを見つめている。
さすがにその視線に居心地の悪さを覚え、ライは食器をテーブルに置いて訪ねた。
「…なんだ?」
「…俺は、ライの家族…だよな?」
「なんだって…?」
突拍子も無い質問。
ライの育ての親であるバルドに、語弊はあるが嫁いだという事は、世間的に考えてもそれは間違いではないであろうが。
「俺はライを本当の家族みたいに思ってる…。母さんが死んで独りな時間が長かったから家族がどういうものかよくわからないけど…、でもこの気持ちはきっとそれなんだ」
「…そうか」
コノエに淡い想いを寄せていたライにとって、それは決定的な拒絶の言葉のようにも思えた。
しかしそれだけではない、暖かさもある。
家族の暖かみなど知らずに育ったライだが、コノエの言うように、この気持ちが家族を思う想いなのだろうと、なんとなくであるが理解した。
「悪くはないな」
「…!それじゃあ!」
ぱぁっと、コノエに笑顔が咲く。そしてごそごそとテーブルの下にある荷物を漁りだした。その様子に、一度は微笑みかけたライが不審な表情に変わる。
コノエが取り出したのは1本のブラシ
「俺、ライの毛繕いしてみたかったんだ。…家族なら、いいよな?」

余りの事にライが硬直する。
コノエの背後を見てみれば、厨房の入り口に隠れて肩を震わせる、ヒゲオヤジ。
いつものようにコノエに一喜一憂されている己を見て笑っているのだろう。

ライの顔に影が落ちた。
ほどなくして、その口が釣り上がる。
「…いいだろう」
「ホントか!?」
「ああ」
ただし、と、ライは厨房の方へと視線を向けながら
「ブラシではなく、舐めろ」
と言い放った。

今度はコノエとバルドが硬直した。
一瞬何のことかと呆気にとられたが、すぐに意味を理解してコノエの顔が真っ赤になる。
「な、舐め…えええ!!」
「母猫を気取るなら舐めろ。家族への毛繕いにブラシなど使わないだろう」
そう言うなりライはコノエの腕をぐっと引っぱり、自分の膝の上に向かい合い形で座らせた。
「そうだな、まずは耳からしてもらうか」
口元に白いふさふさした耳を押し付けられ、コノエは狼狽える。しかし。
(でもたしかに母さんには、舐めて毛繕いされてた気がする…)
持ち前の世間知らずさを発揮し、そういうものだと自分を納得させ、その白い耳に舌を這わせようとする。

その舌が触れるか触れないかの所で、白い耳に宿屋の主人の怒鳴り声が聞こえてきた。